2013年9月15日日曜日

この世から原発が消滅しないかぎり、僕たちは「東京五輪」に歓喜できない

五輪開催をめぐって、政府・五輪関係者と市民、市民と市民のあいだで、これほど「温度差」の激しいケースもないだろう。

マスメディアで報じられた「五輪東京開催」に、日本の国民は総じて歓喜で迎えた。

だが、それはあくまでマスメディアの世界の物語である。

はたと、マスメディアを通さない日常の景色に眼を転じれば、そこには歓喜の「か」の字もない。

多くの人は、遠い世界の出来事、という程度しか関心を示さない。

その「関心」のさまは、巨費を投じて製作された一大スペクタクル映画に入り込めず、白けた気分で映画館のシートに身を沈める、というふうである。

それは、かの「3.11」以来のテレビのバラエティを観る気分と似ている。

あれ以来、お笑いタレントのギャグ、ツッコミへの「爆笑」は、その撮影スタジオの世界だけで収斂するようになった。

画面を通じてこちらの視界に入ると、「失笑」をとおりこえ、どこか違う世界の出来事のような、きわめて白けた気分になる。

「原発爆発」「放射性物質拡散」という、すぐれてリアルなスペクタクルと恐怖を体験してしまった僕たちは、全世界を巻き込んでの「歓喜の物語」にも、身近なお茶の間の「お笑いの世界」にも、感応することができなくなったのだ。

あれ以来、多くの市民は、あれ以前の物語の配役でも、世界の住人でもなくなった。

僕たちが心の底からスポーツの祭典に歓喜し、腹をよじって笑い転げるには、あれ以前の物語ではない、まったく新しい物語が必要となったのだ。

そして、その物語のプロローグは、旧い世界の象徴としての原子力発電所の廃絶を描くことから始まるだろう。

そう、僕たちはもう、原発をこの世から消滅させないかぎり、永遠にリアルな歓喜も笑いも得られないのだから……。

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