2013年2月17日日曜日

「原発さえなければ」と書き残し、自死した酪農家の妻子が東電を提訴


「原発さえなければ」
 
そう、堆肥小屋の壁に遺されたことばである。
 
その小屋で菅野重清さん(当時54歳)は首をくくって亡くなった。2011年6月10日から11日のことだ。東京電力福島第一原子力発電所の事故から、ちょうど3か月たっていた。
 
この「原発さえなければ」という文字を眼にするたびに胸が痛み、東電へ、そして原発を動かす者への怒りがこみあげてくるのは、筆者だけではあるまい。
 
菅野さんは福島県相馬市の酪農家だったが、原発事故で酪農家として生きる道を断たれ、絶望の淵に立たされ、そしてみずから死を選択した。
 
原発さえなければ、この「選択」はなかった。
 
その菅野さんの妻と息子2人が、東電を3月に提訴する。東電に損害賠償を求める東京地裁への訴訟だ。
 
東電を訴えるということは、これまでの約2年間、東電は菅野さんの遺族に何の対応もしなかったということだろうか。
 
原発事故のために自殺に追い込まれたのは菅野さんだけではない。また原発事故で生活が、家庭が破壊された人は数十万を超えるだろう。
 
その人たちもまた、「原発さえなければ」という思いでいっぱいにちがいない。
 
そう遠くない将来、全人類は「原発さえなければ」ということばを抱いて、絶滅するのではないか。
 
「原発さえなければ」ということばが、裁判所に届くかどうか。このことばに、人類と地球の生存がたくされている、といってもけっして過言ではない。
 
「原発さえなければ」
 
このことばを、ぼくはけっして無駄にしないことを誓う。

 

 「壁に書かれた菅野重清さんのことば」
 
原発さえなければ
姉ちゃんには大変おせわになりました
長い間おせわになりました
2011 6/10 PM1:30
大工さんに保険で金を支払って下さい
ごめんなさい
原発さえなければと思ます
残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい
先立つ不幸を
仕事をする気力をなくしました
バネ (息子2人の名前)
ごめんなさい なにもできない父親でした
仏様の両親にももうしわけごさいません 
 
(参考資料:「朝日新聞」社会面、2月17日朝刊)

2013年2月14日木曜日

福島の子供3人甲状腺がんで摘出手術、7人に疑い! さらに被害拡大の検査データも

福島県は13日、次のような発表をした。

東京電力福島第一原発事故が発生した一昨年の3月11日当時に18歳以下であった3人が甲状腺がんと確定診断され、摘出手術がおこなわれた。また7人に甲状腺がんの疑いがある。

この10人の平均年齢は15歳で、男性3人、女性7人。

これは平成23年度の3万8千114人の小児甲状腺検査によって判明したものだが、この内5.0㎜以下の結節や20㎜以下の嚢胞(のうほう)を認めたA2判定が1万3千459人(35.3%)、また5.0㎜以上の結節や20㎜以上の嚢胞を認めたB判定が186人(0.5%)だった。

さらに24年度の検査では、9万4千975人が受け、その内4万1千398人(43.6%)がA判定、548人(0.6%)がB判定されており、この検査データから、今後ますます深刻な事態が危惧される。(資料:福島県「甲状腺検査の結果概要①」)
http://www.pref.fukushima.jp/imu/kenkoukanri/250213siryou2.pdf

福島県はこの検査結果に「被曝の影響は考えにくい」と説明しているが、著しく信憑性に欠けるものだ。

なぜなら、子供の甲状腺がんの発生率は100万人に1~2人程度であり、今回の約3万8千人中3人のがん(さらに7人が疑い)の発生は桁違いの発生頻度を示しているからだ。

今後、被曝による健康被害の拡大が予想されるが、福島県や政府、それにマスコミ、御用学者などによって、被曝と健康被害の因果関係をあいまいにしたり、否定する動きがあるだろう。

また、この検査はあくまで放射性ヨウ素の被曝による甲状腺がんの被害に限定されたものだ。

セシウムをはじめストロンチウム、プルトニウムなどの放射性核種による被曝の人体への影響もつよく懸念される。

ちなみに、このブログでも紹介したが、「胎内被曝した子どもの健康児は2.5%」というキエフ内分泌研究所(http://akiba1.blogspot.jp/2012/05/blog-post.htmlなどの検査データがあることも考慮すべきだろう。

危惧された被曝障害がいよいよ現実のものになってきた。

2013年2月8日金曜日

その日、東電は命綱という名の電気をいとも簡単に切った

先日のことだ。午前中、いつもとかわらない時間を過ごしていた。ぼくは本を読み、妻は仕事をしていた。

そのときだった。本を読むための照明が消えた。なんの前触れもなかった。

なにが起こったのだろうかと頭を整理する前に、妻がぼくの部屋に来た。仕事をしていたパソコンのモニターが消えたと言う。

このとき電気が止まったことに気づいた。家中の電気製品を調べてみると、すべて止まっている。電話も冷蔵庫も。照明はどの部屋も点かない。

停電? 数分たって、妻がはっとなにか思い出したように言った。「もしかしたら――」妻は手紙や葉書などの束を調べはじめた。

すぐに、電気料金支払いを促す「電気料金お支払いについてのお願い」という紙が出てきた。それには、支払いがないと電気を止める旨のことが書いてある。

これだ。料金不払いで、電気を止めやがった。

自宅の玄関先にはインターフォンがあって、もちろんボタンを押せばピンポ~ンと鳴る。だが、この音は聞いていない。

すぐに近くのコンビニで支払いをし、それから1時間ほどのち電気は回復した。

それにしても、こうもあっさりと東京電力は電気を一方的に止めるものなんだ。

それはあまりにも事務的というか、情け容赦ない仕打ちというか、暴力的といってもよい。場合によっては殺人行為だろう。

電気・水道・ガス・電話はライフラインと呼ばれている。そう日本語では「命綱」「生命線」である。現代社会はこのライフラインと密接に結びつくことで成り立っている。

たとえば、自宅で生命維持装置をつけて療養中の人が、突然電気を止められたらどうなるのか。停電時のときのためのバックアアップ装置があるかもしれないが、それが機能しないことも十分に想定される。

そんなことを東電は気づかないのか。

現に、東電福島第一原発は3・11の大震災のとき、万全であるはずのバックアップが機能せず、人類史上未曽有の超巨大事故を引き起こしたのではないか。

電力会社が自社の施設に電気を通すことができなかったのだ。電気が止まって、原発が爆発したんだ。

そして何千万人が被曝し、東北・関東・北陸・中部地方一帯が放射能汚染され、現在も16万もの人たちが避難生活を余儀なくされている。

そう、電気が止まるということによって、どういう事態をまねくことになるのか、どこよりもよく知っているのが東京電力ではないか。

わが家では、年末から年始以降、近親者の相次ぐ死亡や火急の用事に忙殺され、ついうっかり電気料金を払うことを失念していた。

世界一高い電気料金に不満はあっても、支払う意志はあった。なのに支払期日が過ぎたという一点の理由で、一片の「電気料金お支払いについてのお願い」の通知で、東電は電気を止めたのだ。

ぼくは止められたとき、パソコンを使っていなかったが、妻はパソコンで仕事をしていたときだった。

仕事中おりおりに、データの保存はするものの、どうしたって保存できない時間というものはできる。そして、電気が止められたとき、保存していない部分のデータは消えた。

場合によっては、電気が止まることでデータやパソコンのハードが壊れることもある。仕事によっては、1年以上かけて積み重ねてきたものもある。それが電気を止めることで、一瞬にして消滅してしまうことがあるのだ。

こんなことは、いくら「想定外」が好きな東電も、いくらだって想定できるだろう。

この「電気料金お支払いについてのお願い」の裏側には、「電気供給約款のご説明」なる文言があった。

そのなかに「損害賠償の免責」という項目があって、「上記の供給停止により電気の供給を停止した場合には、当社はお客さまの受けた損害について賠償の責めを負いません」とある。

なるほど、電気を止めることで人が死のうが、1年以上かけた仕事を消してしまおうが、一切賠償しないと公言しているのだ。

さすが人類史上未曽有の大事故を起こしながら、損害賠償協議では賠償することを渋ったり、可能な限り低く見積もったり、また賠償で裁判にかけられると、福島第一原発から撒き散らされた放射性物質は「無主物」として東電の所有物ではなく、除染の責任はないと主張する会社だけのことはある。

こんな横暴というか、でたらめな企業姿勢がとれるのも、すべては電力の発電と供給の地域独占がまねいていることである。

一刻も早く発電と送電を分離して、複数の電力会社が自由に電気を売れるシステムにすることだ。

電気という命綱を現有の電力会社に独占させておくと、世界一高い電気料金をとられたり、いとも簡単に命綱が切られたり、そしてあげくは放射性物質という死の灰まで浴びせられる。

この電気を止めたことについて、東電のカスタマーセンターに電話でたずねた。電気を止めることで人が死ぬことが考えられるし、データが消えることもあるが、それについてどう考えるか、と訊くとこういう返事だった。

「電気供給約款にそって、連絡がない場合は、やむを得ず止めることがあります」

それはまったく想定内のことばだった。受話器から聞こえてきたのは、無味乾燥とした無慈悲な語感だった。

電気を止めることで、人が死のうがどうしようが、そんなこと知ったこっちゃないんだよね。ぼくはそう受け止めるしかなかった。

 

2013年2月7日木曜日

またひとり、原発事故で人が殺された。それでも東電・政府・原子力ムラの責任は問われない……。

福島第一原発の事故で郡山市から避難していた男性が、避難先の東京都江東区の公務員宿舎東雲宿舎で亡くなった。

男性は放射能の影響から逃れるため自主避難しており、一人暮らしの独身だった。49歳の死である。

死因は虚血性心疾患。

この死は「原発によって殺された」ものではないか。そう、東電・日本政府・原子力ムラによる。

まず、原発事故がなければ男性は単身で避難しなかったし、そうであれば孤独死はなかったはずだ。

またストレスが虚血性心疾患の原因にもなる。福島県からの東京への単身での避難生活はストレスフルにちがいない。

さらに虚血性心疾患は原発事故による被曝(セシウム137)の影響が考えられる。

ベラルーシ出身の病理解剖学者バンダジェフスキーの研究によって知られているように、セシウムは被曝によって心臓・腎臓・肝臓・甲状腺・胸腺・副腎などの臓器に集まり、障害を起こすことが解明されている。

とりわけセシウムは心筋細胞に蓄積しやすく、心筋細胞融解・筋線維間浮腫・筋線維断裂などが引き起こされることが明確に証明されている。それが不整脈や心筋障害などを引き起こし、虚血性心疾患の原因となる。

この男性の病理解剖はされたのだろうか。福島の原発事故による放射能の影響をすこしでも受けた可能性がある人の内臓疾患による死は、すべて司法解剖すべきだ。

バンダジェフスキーがおこなったような病理解剖を、日本政府や司法の責任において実施する必要がある。なぜなら、この男性の心筋からセシウム137が発見されれば、ただちに殺人事件となるからだ。

毒が散布され、それが原因で人が死ねば殺人事件が成立する。オウム真理教による毒ガス(サリン)散布で、多数の死傷者が出たのが殺人傷害事件となったように、とうぜんのことである。

この東雲宿舎では一昨年にも、浪江町から避難した40代の男性が心臓疾患で突然死している。

これらの「死」は、氷山の一角かもしれない。まだまだ多くの避難生活者が原発事故によって殺されたのではないか。

いまだ原発事故によって16万もの人が避難生活を余儀なくされているが、早急な健康調査が求められる。もう、これ以上の殺人をゆるしてはならない。

(参考資料:朝日新聞「都会に独り、避難者の死」2月7日朝刊)