2013年8月30日金曜日

原発を外国に売り歩く日本の首相について思うこと

連日、福島第一原発の汚染水はとめどもなく海へとあふれ出ている。最近報道されないけど、噴き上がっていた高濃度放射性蒸気はどうなったのだろう。

いっぽう、福島県内の多くの箇所で除染をしても線量は下がらず、下がったとしてもまた上がる。チェルノブイリ周辺の地域では5ミリシーベルト以上の放射線量で強制移住だというのに、福島では5ミリを超えるところで「普通」に住まわされている。

福島をはじめ東北、関東で産出された農産物からはいまだに汚染されたものが出回り、福島の漁師は漁に出られない。

そして爆発した原発の現場ではいったいどんなことになっているのだろう。溶け落ちた核燃料に近づけば即死、というほどの超高線量の事故現場をいったいどうやって「処理」「収束」させるのだろうか。

現在のところ、処理・収束させる技術を人類は持ち合わせていない。そういう技術ができればいいのだけど、それが今後開発される可能性はきわめて低い。

恐らく、実質的な収束作業が可能となるのは、放射性物質がしぜんに崩壊する時期までまたなければならないだろう。たとえばセシウム137は半減期が30年、10分の1になるには100年を要する。またプルトニウムも各地で検出されているが、たとえばプルトニウム239は半減期が2万4千年だ。

そんなとき、この国の首相はなにをやっているのか? 汚染水で大騒ぎしているお盆中、「山梨県鳴沢村の別荘で静養中の安倍晋三首相は連日、趣味のゴルフで英気を養っている」(8月18日)とMSN産経ニュースは伝えている。

そして「英気を養った」あと、さっそく中東へ出向いて原発の営業に躍起だ。

フクイチ事故の収束は、安倍首相が存命中に、まずまちがいなくできないだろう。また原発は事故が起こらなくても、膨大な使用済み核燃料などの放射性物質が出るが、これは最低でも10万年以上安全に管理する必要がある。

たった数10年間、原発で電気をつくったがために、あとの世代が延々10万年以上も、膨大な「死の放射能」の管理をしなくてはならないのだ。現在の日本の子供たちやこれから生まれる赤ん坊は、「死の放射能の管理」とさらに「フクイチ収束」というとんでもない負の遺産を背負わされて生まれ、生きていかなければならない。

それなのに、あろうことか安倍首相は、こんな原発を日本で再稼働させるばかりか、外国にまで売り歩いているのである。とうぜん、以上の実態を知ったうえでの原発営業であろう。

日本はおろか全人類の、しかも10万年先までの地球全生物の命運がかかっていることなのに、よくもこういうことを、世界中の人が見守っているなかでできるものだと思う。

どういう先験的資質、どういう感性、どういう境遇、どういう思考があれば、こんなことを積極的にできるのか、心底知りたい。ある面、感心すら覚えるし、作家的好奇心をいたくくすぐられる。

安倍晋三という人には「畏れ」「畏怖」というものはないのだろうか。

自分の責任でやった行為によって、現世代から10万年以上もの後の世代に苦しみを与える、ということにたいする畏れというものはないのだろうか。

果たしてこの人は、自分がやっていることを理解しているのだろうか。

そういう人が存在すること、そしてそういう人が一国の首相であること、それがぼくにはよくわからない。

こういうことをやっていると、「日本を取り戻す」というより「日本をうしなう」だろうし、生命圏としての地球も取り戻せなくなる。

以上のこと、どう考えているのか、ぜひ本人に訊いてみたい。

 

2013年8月29日木曜日

ピークエクスペリエンス・ゾーン・フローって、どんな体験なんだろう?


たまには自分のブログで、自分の書いたものを宣伝してもいいでしょう。
 
で、このたび、『スポーツの至高体験 (ピークエクスペリエンス・ゾーン・フロー)』[Kindle]を上梓しました。
 
はい、はじめての電子書籍です。本を「紙版」「電子版」と使い分けるのも、時代を感じますね。
 
スポーツ中に驚くべき体験に遭遇することがあります。
 
日常のリアリティとはまったくちがう、もうひとつのリアリティに一瞬にして没入するのです。これを本書では「非日常的リアリティ」と名づけました。
 
この本は著者である僕自身が体験したものをベースに、膨大な文献、それにものすごく興味深い体験をした五輪メダリスト、日本屈指の精神世界の達人などをインタビューして構成したものです。
 
僕たちがよく知っているあのサッカー選手やプロ野球選手はもちろん、あらゆるスポーツプレイヤーが「あの体験」をしていたのです。
 
みんな、あまりおおっぴらに言いませんが……。
 
いや、プロではなくアマチュアも、現にこの僕でさえ、あの体験をするのです。スポーツプレイヤーだけではなく、ミュージシャンやアーティストも、そしてそうでない人も体験します。
 
誰だって体験する可能性があり、それはいつ体験するかわからないのです。
 
それはエクスタシー(ものすごい歓喜、恍惚感)、さらにこの世のありとあらゆるものは「ひとつ」だという感得です。境界なんて幻想なんです。
 
そう「感得」したのです。
 
ある辞書で「感得」を引くと、(1)奥深い道徳や真理などを感じ悟ること。(2)信心が神仏に通じて、宿願がかなえられること。(3)思いがけなく手に入れること、とありました。このなかで、(1)と(3)が僕の体験に当てはまります。
 
それは「理解」ではなく、そういうものである、ということが瞬間的に「本能」に組み込まれるというような感じ方なのです。
 
すべては「一」である、ということを……。
 
こんなことを述べる僕は、清濁、聖俗併せ持つ市井の凡人です。
 
聖者とか悟った人、あるいは自我肥大した人、オカルトな人ではなく、僕のような凡人が書いたことに、この本の意義があるのではと思います。
 
この体験は危機に瀕する人類の未来に希望を灯すものです。いや、おおげさではなく。
 
 
 
 

2013年8月22日木曜日

東電は汚染水流出を以前から把握していたはず。この事象はレベル3ではなく5以上

まあ毎日毎日、超大量超高濃度の放射能汚染水が海に流出することすること。

いまになって「海に出てるみたいです」みたいな報告をする東電だが、こうなることは、もうずいぶん前からわかっていたことではないのか。

いまになるまで、把握できていないわけがない。

しかも、こんな重大なことを政府や監督官庁が事前にチェックできないのは犯罪的怠慢以外の何ものでもあるまい。

さらにこれは国際的そして史上空前の重大問題なのに、どこぞの首相は連日のゴルフざんまい。これ真っ当な神経の持ち主なら、現地にすっ飛んでいくだろ。

原子力規制委員会は今回の超高濃度の汚染水漏洩が、原子力事故の国際評価尺度(INES)のレベル3に充当するという。

レベル3も大変な事態だが、このINESのレベル基準を見ると「事業所外へリスクを伴う事故」であるレベル5以上が妥当ではないだろうか。

だって、事業所外の海洋へ超高濃度の放射性物質が大量に流出したのだから。

レベル3は「重大な異常事象」で、事業所外への影響は「放射性物質の極めて少量の外部放出」とされているが、今回の汚染水流出はこのレベルに適合しないことは明らかだ。

レベル5の事故例としては1979年のスリーマイル島原発事故などがある。

2013年8月11日日曜日

自民憲法案、36条「拷問、残虐な刑罰を絶対に禁ずる」の「絶対」を削除していた!

第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。

上が現行憲法で、下が自民党「日本国憲法改正草案」なるもの。

 自民党の改憲案は「絶対にこれを」が消えている。
 
これって「拷問や残虐な刑罰は絶対にしない、ということはない。場合によってはするかも」というように読める。
 
でなければ、あえて「絶対」を削除する理由がみつからない。
 
自民党が理想とする国家って? 
 
自民党の改憲案を読むと「戦争がしたくてたまらない」「国民に自由なんか与えたくない」「恐怖政治がしたい」という印象しか残らない。
 
もしかして自民党って、ナチスが理想? 
 
国民支配のやりかたも「ナチスの手口に学んだ」のではないのかな。ねえ麻生さんどうなの。
 
自民党の憲法案なんて「絶対」いやだ。変な憲法に「絶対」変えるな。
 
ぼくは声を大にしてさけびたい。

2013年8月9日金曜日

福島原発事故が不起訴なら、もうどんな犯罪も罪に問えない

東電福島第一原発事故は人類史上未曽有の過失、犯罪だ。

原発とその周囲の土地は数百年から数万年居住することができない。

16万もの人が郷土と住まいをうしない、また避難する過程で多くの生命が奪われた。

津波や地震で倒れた人は原発事故のために救出することができず、助かる命が見棄てられた。

数千万人が被曝し、陸と海の生物も被曝した。

海の幸、山の幸とよばれた豊かな食材は、内部被曝をまねく毒と化した。

すくなくとも数名は、事故が原因で自殺した。

放射線障害が疑われる症状や病死が頻発し、福島をはじめ東北・関東の住民は晩発性障害におびえる。

しかも、この健康被害はまだ終わっていない。もっと拡大する可能性がたかい。

さらに事故はいつ収束するのか見当もつかず、いまだ膨大な高濃度の放射性物質を環境に撒き散らしている。

それに掛かる費用は政府概算でも10兆円を超え、破綻しかけている日本の国家財政をさらに窮地に追いやっている。

ざっと思い巡らしただけでも、これだけの被害が発生した。

津波の想定、発電設備の設置場所、津波が来る前の地震での配管破損、ベント設備など、事故関係者の過失責任を問える幾つもの確証があるにもかかわらず起訴しないという。

これだけの犯罪をなして、その関係者全員が不起訴だという。

裁判どころか、裁判にかけることすらしない。

では検察に訊きたい。

このような事案で不起訴なら、いったいどんな「犯罪」「過失」であれば起訴となるのだろうか。

もうこの国を法治国家とよぶのはやめよう。

2013年8月3日土曜日

海に流出した放射性物質(トリチウム)は雨となって、ぼくたちの頭上に降り注ぐ

この年間ずっと、東電福島第一原発の超高濃度放射性汚染水は、海に垂れ流しつづけてられていたことが明らかになった。

しかもその解決の目途はいまだたっていない。

福島沖を中心に太平洋海域は広く汚染された。多くの魚介類が被曝し、それは食物連鎖によって急速に、より広い海洋のより多くの生物へ進行している。海の生物だけではなく、魚介類を食べる鳥にもそれは広がるだろう。

そうすると、この放射性物質で汚染された海水は、雨となって陸にも? そうぼくたちの頭上にも降り注ぐのではないか? 

そんな素朴な疑問がふっとわいて検索したら、小出裕章さんが話されたことを書き起こしたホームページが見つかった。

そこで小出さんはこんなことを述べていた。

 

たとえば流されている放射能の中にはトリチウムという名前の放射能があります。
 
それはいわゆる水素なのです。
 
放射能をもった水素なのですが、これも海に流れているはずで、環境に出ると水の形になります。H2Oという形ですね。
 
そういう形になりますので海水が蒸発して雲になれば、それがまた雨になって落ちてくるということですのでもちろん循環して陸にも戻ってきます。
 
(参考*「みんな楽しくHAPPY♡がいい♪」http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3153.html

 

もうこれ以上、汚染水処理や事故処理を東電に任せていたら、事態はますます深刻さを増すばかりだ。
 
国が先頭にたって、この放射能汚染水やフクイチ事故処理に向けて全力を尽くすべきである。
 
全世界によびかけて、人的・技術的・資金など、ありとあらゆる資源を投入しないと、ぼくたちはこの星に棲めなくなる。
 
「アフターアース」は映画の世界ではなく、ぼくたちのこの現実の世界で起きつつある。