2011年10月17日月曜日

【ただちに危険だ! 原発通信】№16

ブラックエネルギーからグリーンエネルギーへ
ブラックエコノミーからクリーンエコノミーへ


放射性セシウムと人体への影響
「低線量でも内部被曝は危険」
バンダジェフスキー研究



Yu.I.バンダジェフスキー著『人体に入った放射性セシウムの医学的生物学的影響―チェルノブイリの教訓 セシウム137による内臓の病変と対策―』(久保田護訳)を入手した。セシウム137による体内被曝の人体への影響についての、実に貴重な研究報告である。

その研究から導き出された結論とは――。それは、低線量であっても放射性セシウムは人体に病変をもたらす、ということである。

これまで外部被曝はそれなりの研究がなされていたが、長期の内部(体内)被曝についての研究報告はほとんどないとされていた。ところが内部被曝を調査研究していた専門家が存在したのだ。

その専門家とは病理学博士のバンダジェフスキー。1957年ベラルーシ共和国グロドノ州生まれ。元ゴメリ医科大学長で病理学部長。その研究実績はベラルーシ内外で認められている。

内部被曝の研究は人体実験が不可能なことから、放射線がもたらす体内での影響については、小児の甲状腺がん以外には、ほとんどわからないとされてきた。

このことから、一部の放射線専門家は「内部被曝による病気の増加はなく、被曝地域住民の体調不良は精神的影響」などと公言することがあった。ぼくもテレビ(とくにNHKが多かった)でこのたぐいの発言を専門家からよく耳にした。

ちなみに長瀧重信氏(長崎大名誉教授・前放射線影響研究所理事長)は次のような文章を朝日新聞(20110414日朝刊)に寄せている。

「(チェルノブイリ原発事故から)25年たったいま、周辺住民の健康状態に関する国際機関の報告によれば、子どもの甲状腺がんが増加したが、それ以外には、セシウムで高度に汚染された地域の住民も含めて、放射線による病気の増加はまったく認められていない。報告は、現在の最大の問題は放射線に被曝(ひばく)したという精神的影響(PTSD)だと結んでいる。」

体調のわるさは内部被曝が原因じゃなく、あんたの気のせいだ、と言うのだ。

ところが、チェルノブイリ事故で被曝した人たちの病状や病院で死亡した患者の解剖、さらに動物実験から、放射性セシウムの体内被曝と人体臓器の病変が関係していることをバンダジェフスキーは究明したのである。

バンダジェフスキーは著書の結論でこのように述べている。「人体やその器官に入り込むとわずかな放射性セシウム濃度でも極度に危険になり、既存の変貌または合併症に導く」

内部被曝の人体への影響は、がんはよく知られているが、それだけではない。心臓血管系、腎臓、肝臓、免疫系、造血系、女性の生殖系、妊婦と胎児成長、神経系、視覚器官などへの症状や疾患、病変をもたらす。

さらに「セシウム137によって引き起された人間や動物の身体の病理変化は合併して、長寿命体内放射能症候群(SLIR)になる」という。そしてSLIRによって、血管、内分泌、免疫、生殖、消化、排尿、肝胆汁の各系に組織的機能変化が認められるという。

また、とりわけ心臓、肝臓、腎臓にはわずかな体内放射能レベルでも毒性があること。しかもニコチンやアルコールなどの摂取により、毒性が高まるらしい。

内部被曝の影響から人体を保護する方法についても述べている。

「どんな量の放射性セシウムでも発病の原因になりうる」とし、そのうえで食料品の放射性セシウムの基準値を厳しくすることだという。日本の暫定基準値はきわめて高い(緩い・甘い)が、一刻もはやい基準値の見直しが求められるだろう。

セシウム137は主に乳製品やパン(日本人は米も)、肉とくに牛肉、野生のベリーやきのこから摂取されるので注意が必要だ。また「肉と魚は塩化ナトリウムをいくらか加えて煮ると70%までの放射性セシウムが、じゃがいもを煮るときも45%の放射性セシウムが煮汁に残る」という。

なお訳者の久保田護氏は「チェルノブイリの子供を救おう会」代表であり、茨城大学名誉教授である。


2011年10月15日土曜日

【ただちに危険だ! 原発通信】№15

東京を占拠せよ!
原発をやめろ! 格差をなくせ!
10.15集会とデモ・リポート

東京を占拠せよ!(日比谷公園)


10.15オキュパイ・トウキョウ。

アラブ、ヨーロッパ、アメリカNYの歴史的なウェーブがついに東京に上陸した。

ぼくはきょう、この集会とデモに参加するというより、参加できなかった全国のみんなに向けてのリポートに徹することにした。そう、三つの集会とデモを〝はしご取材〟したのだ。

参加者は三つ合わせて400弱人というところか。率直なところ、多くはない。だけど、NYのデモが10名からはじまったことからくらべれば上々だろう。そんなことより、この集会とデモは人類史を画する偉大な変革の第一歩となる可能性をひめていることだ。もしかしたら、2011.10.15は新たな人類史のメモリアルデーとなるかもしれない。

この集会とデモはなにがあっても目にしておかなくてはならない。取材リポートしなくてはならない。などと、ぼくにしてはめずらしく固い決意などをして、強風と雨のなか東京にむかったのである。

世界中で不況と格差がひろまり、1%が利益を独占し、99%が困窮を余儀なくされている。利権構造を自由にあやつるものだけが富をむさぼり、それ以外の者は失職するか、職はあっても低賃金と過剰労働を強いられる。

それは日本も例外ではない。さらにこの国では、福島第一原発の事故により、死の灰が福島から東北、関東、北陸へ降り注ぎ、故郷や住まいを追われ、また放射能汚染におびえ、飲み水や食べものも安心して口にすることができない。

こんな状況をまねいた原発にもかかわらず、まだ原発を推進・稼働するために原子力利権集団(俗に「原子力ムラ」「原子力マフィア」とも呼ばれている)は画策している。

格差社会と原発推進は同じ構造なのだ。自分たちの利権のためなら、99%の者を奴隷のように働かせても、放射能汚染まみれにしてもなんとも思わないのだ。だから「格差をなくせ」と「原発をやめろ」は通じ合っている。

それにしても報道陣と私服のおまわりさん(公安デカと呼ぶ人もいます)の多いこと。メディアはNYデモの関連で格好の取材ソースと踏み、警察は「脱原発」と「NYデモ」の影響での市民の盛り上がりをかなり警戒しているようだ。

これは私ごとではありますが、日比谷の集会は以前フリーで仕事をしていた新聞社のすぐ前で、六本木の集会は著書デビューさせてくれた出版社のすぐ近く。いずれも15年以上も前に来た時以来のことで、懐かしかった。おまけに新宿では25年ぶりに思い出横丁を通ったし……。カンガイブカイです。

東京に着くと、激しい風雨はおさまり、絶好のデモ日和になっていた。ぼくは日比谷から六本木、そして新宿へと、三つの集会とデモのはしご取材を敢行。

地下鉄の階段を昇り降りし、新宿ではデモより先に走って、小田急ハルク前の陸橋を駆け上がってパチパチ撮影した。デモがあれは百人町あたりかな、両足に違和感があるなと思ったら、両足同時につったよ。歩きながらつったのははじめてのことだ。

取材を終えての帰宅中の山手線車内で、ふっとドアの上のモニターを観れば、「格差反対デモ」というテロップとともにデモの様子が動画で流れていた。さすが共同通信、速いですな。マスコミもこれぐらい速攻でいかないと、ツイッターやフェイスブック、ネットなどに負けてしまうものね。


日比谷公園中幸門
プレスが多い

六本木・三河台公園



カレー無料です。カンパしてね


新宿・柏木公園 デモ出発直前

シュプレヒコール! 気合入ってる新宿デモ

小田急ハルク前の陸橋から





この横断幕、なんかインターナショナルっぽいね

2011年10月14日金曜日

【ただちに危険だ! 原発通信】№14

ブラックエネルギーからグリーンエネルギーへ。
ブラックエコノミーからクリーンエコノミーへ。

おむつと原発。ニッポンとブータン。1%と99%。
ぼくたちはどういう国に住んでいるんだろう。

ぼくたちはいったいどういう国に住んでいるんだろうか? けさの朝日新聞「電力支配・中」(14日朝刊)を読んでつくづくそう思った。この連載記事の今回のテーマは、原発の立地自治体に国から金がばらまかれる「電源三法交付金」についてだ。その記事の書き出しを引用する。

――福井県敦賀市の子育て総合支援センター。2歳になる長男のおむつを替えていた主婦(33)は、教えてくれた。「このおむつ、市がくれたんですよ」

敦賀市は子どもが生まれるとおむつなどの育児用品を支給し、お年寄りの足となるバス事業費など、「ゆりかごから墓場まで」を手厚く援助するらしい。これらの資金の出どころが、原発であり、それは「電源三法交付金」という法律によっていることを明らかにする。

ぼくはこの記事を読んで、おむつをもらってうれしそうな主婦の顔が浮かぶ。そして「おむつと原発か……」と、溜息を吐く。もしかしたら、この市がくれたおむつのために、おさない子どもを抱えて敦賀市から一刻も早く逃げ出さないといけないはめになるかもしれないのに。

敦賀市には日本原電敦賀原発が2基、解体中の「ふげん」、そしてあの「もんじゅ」がある。隣の美浜町には美浜原発が3基、さらに若狭湾沿いに大飯原発4基と高浜原発4基。原発が乱立する「原発銀座」である。ただし、この「銀座」、お金も落としてくれるが、「死の灰」も落としてくれる。

ぼくは「おむつ」が引っ掛かる。おむつをもらうのと引き換えに、原発を立地、稼働させることだ。おむつを市がくれた、と主婦は言うけれど、そのおむつのお金は、電気料金に上乗せされているので、元は電気料金を払った消費者が支払ったことになる。そう、一般家庭の電気料金には毎月約110円が加算されているのだから。この何千万人が支払った110円によって、そのおむつはその主婦にただで支給されたのである。

ここで、冒頭の「ぼくたちはいったいどういう国に住んでいるんだろうか?」に戻る。日本経済はデフレに見舞われ、長くつづく不況のなかにある。だけど、それでもGDP(国内総生産)はアメリカ、中国に次いで世界第3位(2010年)だ。

いっぽう、国民の90%が国勢調査で「幸福」と答えたブータンのGDPは161位。その差はざっと4千倍。なのに、ブータンは医療費と教育費が無料なのだ。そしておまけにほとんどの国民が幸福だという。

それに引き換え、日本では事故が起きて、いつ死の灰(放射性物質)が降り注ぐかもしれない原発の近くに住むかわりに、「おむつ」をもらうのだ。なぜ、日本は世界3位なのに、こうもブータンと状況がちがうのだろう。それは原発の利権構造、そしてウォール街デモの「1%と99%」と同じ構造によってもたらされていることは明白なんだけれど……。

2011年10月13日木曜日

[ただちに危険だ! 原発通信]№13


東京を占拠せよ! 
原発をやめろ! 格差をなくせ!

10.15(土)世界一斉デモ 東京でも同時開催

NYウォール街デモ世界中に拡散中 そしていま東京へ――
日比谷・新宿・六本木で集会・デモがあるよ



拡大持続中のNYデモが、全世界へ飛び火している。1015日の土曜日には東京の数か所で「東京を占拠せよ」のスローガンのもと集会とデモがおこなわれる。もちろん目的は「反貧困・反格差」そして「脱原発」だ。



拡大深刻化する放射能汚染。危機迫る第二、第三のフクシマ。個人の努力では抜け出せない貧困。ますます拡がる経済格差。



一握りの原発利権集団のために、数千万人の健康と生命と財産と故郷・地域が奪われ、1%の者たちに富が集中し、99%が貧困にあえぐ。



もうこんな理不尽な状況に、一刻の我慢もならない。黙っていても、この状況は変わらない。変えるには、行動しかない――。



そんな「怒れる者たち」がアラブで、ヨーロッパで、アメリカで、そしてニッポンで立ちあがった。数え切れない導火線に点火された火は、いま巨大な憤怒の爆薬庫に向かっている。



東京を占拠せよ。ウルトラ・ブラック東電本店、経産省を取り囲め。



こんな状況を変えるのは、バラク・オバマでもなく、野田佳彦でもなく、ぼくたち一人ひとりの行動にある。いま世界中で人びとが立ちあがっている。なにがなんデモ、デモいくぞ。



東京を占拠せよ! 原発をやめろ! 格差をなくせ!
10.15(土)世界同時行動 (国際アクションデー)

▶日比谷
「オキュパイトウキョウ」アクション計画
12時・日比谷公園中幸門集合
Occupy Tokyo

▶新宿
10・15「怒れる者たち」の世界同時行動
14時・新宿柏木公園集合 
15時デモ出発予定
10・15「怒れる者たち」の国際連帯行動実行委員会 090-1429-9485(荒木)
http://chikyuza.net/n/archives/15321


▶六本木
Occupy Tokyo
12時・六本木 三河台公園

2011年10月7日金曜日

【ただちに危険だ! 原発通信】№12 

[ブラックエネルギーからグリーンエネルギーへ!]


 
市民サイドにたったように見せかけて、
巧妙にはめる報道手法はもうやめようね。
 




フクシマの原発事故以来、放射能汚染に関することで市民からさまざまな不安がもちあがる。すると、マスメディアはそれを抜け目なく取り上げる。なかには、意図的かどうかしらないけど、まったく無視することもあるが。



その取り上げ方に、一定のパターンがある。



たとえば、放射性物質に汚染された食品についてだ。この問題は、多くの人が不安をもっており、マスメディアも取り上げることが多い。



「放射能に汚染された食べものはだいじょうぶ?」みたいなキャッチで、さも市民サイドにたったように記事は書き出し、番組はスタートする。



記事は番組は起承転結と進行し、いよいよまとめにはいる。そして、じゃ~ん、きまってその問題の専門家と称する者が登場する。ほとんどが有名大学の学者の肩書をもった先生だ。御用学者という肩書もある。



彼らは温厚そうな人柄と滑らかな口調で、こうのたまう。「これぐらいの量なら、1年間食べ続けても、なんの問題もありません」と。



記事は番組は、先生の「なんの問題もありません」ということばの余韻を残して終わる。



とくにこのパターンが多いテレビ局がNHKだ。NHKはニュースやバラエティとドキュメンタリーではあきらかに趣意が異なる。



ごく単純化すれば、ニュースやバラエティは「放射能汚染なんてたいしたことはない」、ドキュメンタリーは「放射能汚染はかなり深刻である」というように映る。



人によってニュースやバラエティは「不安を煽らない冷静な対応」であり、またドキュメンタリーは「いたずらに不安を煽っている」となるだろうし、また別の人によっては、ニュースやバラエティは「意図的に汚染や被害の実態を低く見積もったもので、原発推進の意図が隠されている」となるだろうし、またドキュメンタリーは「ジャーナリズムとしてほんらいの仕事をしている」となるだろう。



ただその波及効果というか影響力はニュースやバラエティのほうが強いだろう。またまたごく単純化すれば前者は「印象づけ」であり、ドキュメンタリーは「論理的説得」である。



論理的にはヘンなのだけど、とにかく印象づけてしまえば、それが「ニッポンの常識」として、日本人の空気のなかに浸透する。



このことをもっとも熟知しているのが権力者である。今回の原発事故でもその「印象づけ」が効果を発揮した。その最高傑作のキャッチコピーが「ただちに健康への影響はありません」「風評被害」である。



また、原発稼働以来の「印象づけ」の集積によって、それはいつしか「安全神話」となる。そう、不可侵のゴッド・コピーとしてまつりあげられるのだ



次は新聞だ。新聞記事も、記者が本当に伝えたいことを、文末で他者に語らせることがある(まあぼくも、この手をときどき使うけど)。その典型を929日の朝日新聞科学欄で見た。



見出しは「被曝線量低くても発がんリスク」。この見出しを見たぼくは、「お、朝日も低線量被ばくの危険性をあきらかにするんだ」と、ちょっと期待しながら本文に目を通す。



米国立がん研究所が胸部X線と乳がんのリスクを長期間調査し、X線による被ばく線量が多いほどがんリスクが上がること、また自然環境からの被ばくが小児白血病のリスクになっている可能性があること、そして福島原発事故の影響で固形がんの発生リスクを、ICRPの予測モデルを使ってシミュレーションしたものなどを紹介してゆく。



ぼくはここまで読んで、ICRPという原発促進サイドのデータをもとにしていることには大いに不満だったけれど、でもそれなりに良心的な記事だという印象をもった。ところがこの記事は次の一節で終わってしまったのだ。



――イワノフさんは「実際の福島県の住民の被曝線量はまだはっきりしていない。これぐらいリスクが上がるとしても、喫煙よりずっとリスクは低い。心配しすぎないで欲しい」と話している。



イワノフさんとはロシア保健・社会開発省医学放射線研究所の副所長。専門家しかもチェルノブイリ事故を経験したロシアの専門家が、「喫煙のリスクより低い、心配しないで」と話せば、それなりの説得力がある。



そしてこの記事は「放射線はタバコより安全」という印象を残して終わる。そしてぼくは深い溜息をつく。「ああ、いままでの記事はなんだったんだ」……と。



この記事には「大岩ゆり」という署名がある。大岩さん、この記事の文末、デスクが変えたわけじゃなく、あなたがこういう構成にしたのでしょ? 



あなたの記事を超善意に解釈すると、放射能(放射性物質)におびえている人に、専門家もこう言っているんだから、そんな心配しなくていい、と恐怖を払拭して安心させるために書かれたものとなるだろう。



またこの記事を超悪意に解釈すると、原発事故の被害を過小にみせたい原発村のねらいがあると見られ、大岩さんって、「原発村の広報宣伝員」と思う人もいるかもしれない。



ぼくは超善意でも超悪意があるわけでもないけれど、やはりあの記事の終わり方は問題があると思う。この記事のテーマは人の健康と命にかかわることであり、とくに子どもはおとなより3倍から10倍ものリスクがあるわけで、安易に人を安心させることは、この上もなく危険にさらすことになりかねない。



また、同じく朝日新聞(106日)の東京電力の藤本孝副社長のインタビューの文末は、かなりひどい。引用する。



――定検で停止中の柏崎刈羽原発が再稼働しないと、「来夏の需給は、今年よりもかなり厳しくなる」とみている。



これじゃ東電の原発再稼働に向けた広報じゃないか。そう思わない、竹中和正さん(この記事にこう署名があった)。



この記事はもう明確な原発推進の役割を担っているよね。朝日は読売のように社説で原発推進を鼓舞はしないけど、紙面のあちこちで、じつに巧妙に原発推進、放射線量の20ミリシーベルト基準の前提化、被ばくによる発がんリスクの低減化をやっているように思う。



ときには、良心的な報道もあるけど、軸足は原発推進だろう。



ところで朝日新聞編集局長殿、どうして福島の子ども10人が甲状腺機能に変化があったという報道をしないの(もし、してたらごめんなさい)。この件、真っ当なジャーナリストなら1面トップでしょ。



朝日さん、東電や政府に弱みでもあるの? そう勘繰られても仕方ない姿勢ですよ。


2011年10月5日水曜日

【ただちに危険だ! 原発通信】№11





ただいま空間線量、毎時0.350マイクロシーベルト!
そんな数値を表示した線量計をもったぼくのまえを「いぬのおまわりさん」を歌いながら園児たちが通り過ぎてゆく。



危惧していたことが起こってしまったのか。ぼくは531日に、この「危険原発通信№4」でつぎのようなことを述べた。

ことしの9月後半から10月ごろにかけて、子供に甲状腺がんが出はじめるような気がします。ほんとうに、ぼくの危惧だけに終わればいいと、祈るようにそう思うのですが。

――という一節だ。けど、その危惧が現実のものになってしまったのか。

甲状腺がんではないけれども、福島の子どもから「甲状腺機能の変化」がみつかったのだ。
ネットやテレビ、新聞などでご存知のかたも多いだろうが、福島の子ども130人の健康調査(医師の問診と血液検査、尿検査)をしたところ、10人から甲状腺機能に変化があった。

調査したのは認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と信州大学病院で、7月から8月にかけて実施した。調査対象となったのは、福島原発事故から茅野市に避難していた短期滞在の子どもたち。

130人(73家族)の年齢は、生後6か月~16歳で平均7.2歳。

この甲状腺機能に変化がみられた10人の子どもが事故当時住んでいたのは、福島第一原発から20キロ以内の警戒区域3人、旧緊急時避難区域1人、その他6人となっている。

JCFの鎌田実理事長(諏訪中央病院名誉院長)は「被ばくの可能性は捨てきれない」という。

甲状腺に変化があった子どもの10人すべてが原発事故の被ばくが原因であるとは、調査した機関は断言していない。そしてこの10人が甲状腺がんになるかどうかもいまのところわからない。

ただし、通常における甲状腺がんの罹患率は極めて低く、被ばくが原因の可能性は極めて高い。

130人のうち10人となると約7.7パーセント。この7.7パーセントを福島県の15歳未満の子ども280965人(平成2241日現在)すべてにあてはめると21634人という、ぞっとする数字がはじき出される。

もちろん福島県だけではなく、放射能汚染のホットスポットは県外数百キロ以上に拡散している。この10人の子どもたちと同程度の被ばくをしている子どもは、福島県外にもかなりの数、存在するとみるのが妥当だろう。

となると、この21634人にどれだけ掛け算することになるのだろうか。

チェルノブイリでは原発事故が起きて5年目から子どもの甲状腺がんが激増している。いまから5年後の2016年、これらの子どもたちの運命はどうなっているんだろうか。

今月9日から福島県の子ども36万人を対象とした甲状腺の音波調査が始まる。これからこんな調査報告がどんどん出てきそうな気がする。

今回の調査をもとに、早急におこなう対策は、福島県や県外にもひろがる放射能汚染地帯を除染すること、さらにこれらの地域に在住する子どもと妊婦(もちろん、できればすべての人たち)を避難させること、それに福島県以外の人たちの健康調査の実施である。

ぼくが住んでいる千葉県柏市は年間空間線量が1ミリシーベルトを軽くオーバーする。

わが家の前の道路は、本日(105日午前1030分)は毎時0.233マイクロシーベルト(年間に換算すると2.04ミリシーベルト)あって、細野原発担当大臣が「1ミリシーベルト以上の地域はすべて国の責任で除染する」という地域にあてはまることになる。(ちなみにこれを書いている自宅の机のまえに置いた線量計は5日午後1時41分現在0.107)

こういう地域に住むことは、大人はもちろんだけど、子どもにとってはこの上もなく放射線障害へのリスクが高いこと意味する。他の非放射能汚染地域(こんなタームを使う時代になったんだ!)に住むことができないのなら、せめて可能なかぎりそのリスクを減らすことが必要となることはいうまでもないことだろう。

♪♪♪まいごのまいごの こねこちゃんあなたのおうちは どこですかおうちをきいても わからないなまえをきいても わからないニャンニャン ニャニャーンニャンニャン ニャニャーンないてばかりいる こねこちゃんいぬのおまわりさん こまってしまってワンワンワンワーン ワン ♪♪♪

自宅から車で5分ほどのところに柏市南部クリーンセンターという市の清掃工場があり、その周囲がひろい公園になっている。ぼくは犬の散歩と放射線のモニタリングを兼ねてときどきこの公園にくる。

そして先週のこと、この公園で聞こえてきたのが、みんなおなじみの童謡「いぬのおまわりさん」だった。先頭の保育園の先生が大きな声で歌い、それに合わせて20人ほどのおそろいの帽子をかぶった園児たちが合唱しながら列をつくって歩いている。

いつもならのどかで微笑ましい光景だ。ぼくとビッキー(飼い犬)も笑顔で子どもたちをみていたことだろう。だけど、原発が爆発してから、いつもの光景ではなくなった。

なぜなら、ぼくが手にしている放射線測定器は毎時0.350マイクロシーベルト(地上約1メートルの空間線量)という数値を出していたのだから。

笑顔ではなく、僕の顔はひきつり、園児を引率する保育士の女性たちに怒りをおぼえる。
柏市も保育園や幼稚園、小中学校、それに主な公園の線量測定をおこない、それを公表している。線量のばらつきはあるものの、どこも年間1ミリマイクロシーベルトを超える線量であることはまちがいない。

にもかかわらず、こういう危険ゾーンに園児の集団がやってくるのだ。さすがにこの間、大きな公園にくる子どもたちは減ってはいる。

だけど、まだまだ子どもたちの遊ぶ姿がある。もちろん、こんな公園に、5歳未満の子どもが自分の意思でやってくるはずはない。

大人が連れてくるのだ。大人の放射能汚染にたいする認識ひとつで、子どもの被ばく線量が決定する。

このような柏市の被ばく状況に、同市の小さな子どもをもつお母さんたちが立ちあがり、それまで放射能汚染なんてまったく「我関せず」を決め込んでいた柏市を動かし、学校や保育園、幼稚園の線量測定、除染を実施させたのだ。

ぼくは公園の除染はどうなっているのか知りたくて、柏市の公園管理課に電話してみたところ、柏市は除染するという意向はあるみたいなのだが、それをいつやるのかというとはっきりしない。そう、これまでよくあったお役所的対応の典型である。

「いや、この件は子どもの健康と命がかかっているんだから、そんなこれまでのような対応では間に合わない。時間との勝負なんだ」みたいなことをぼくが言っても、あいまいな返事しかもどってこない。

そこで、ぼくは柏市のなかで放射線対策を担っているという環境課にメールしてみた。その日時が928日の午後1230分ごろだ。だけど、現在(105日午前1130分)になっても、なんの返信メールもない。(いい加減にしてね)

原子力によって利益を得る者に警告する!

日本の一般市民をあなどってはいけない。もはや体制に従順な怒りを忘れたヒツジではない。日本人の大半が腹の底から憤っている。怒りが渦巻いている。

数え切れない導火線に点火された火は、いま巨大な憤怒の爆薬庫に向かっている。チュニジアのジャスミン革命を契機に、ラブで独裁者が放逐され、イギリスで若者が暴動を起こし、アメリカでは貧富の格差に怒ったデモが拡大している。そしていま、そのウエーブは日本列島に訪れようとしている。

日本の場合、貧富の格差に放射能汚染対策や原発推進への怒りが加わる。

「ただちに健康への被害はありません」「これくらいの放射線量なら、毎日食べてもまったくなんの健康への影響はありません」「原発は必要だ」

そんな言葉をテレビで新聞で吐いた、自分の利益のために魂を悪魔に売ったモノドモは首を洗って待っていたほうがいいだろう。

そして、「放射性物質が大量に漏れ出すものではない。20キロ圏内外の地域のみなさんに影響を与えることにはならない」「放射性物質の濃度は20キロを越える地点では相当程度薄まる。人体への影響が小さいか、あるいはない程度になっている」と、原発が爆発したあとに記者会見したあなたも。そうです、首を洗って。当時、官房長官だったあなたですよ。