「原発がないと何が起きるのか」ときのうの講演会で枝野が言った。じゃあ、ぼくたちはこう言ってやろう。「原発があると何が起きたのか」と――。
大飯原発3、4号機の再稼働を野田内閣は「妥当」と判断したが、その「政治的判断」をしたひとりである枝野経産相は昨日(15日)徳島市の講演会でこんな発言をした。
「本当に原発がないと何が起きるのか、検証を慎重にやっていただこうと思っている。少なくともこの夏、原発がないと相当いろんなところに無理がくることは理解いただけると思う」(朝日新聞4月16日朝刊)
枝野が述べた「原発がないと何が起きるのか」とは、この夏に電力が不足して経済や市民生活がとんでもないことになるというメッセージである。つまり、彼は原発がないと国民の生活は困ったことになる、とぼくたちを恫喝したわけだ。
大飯原発が稼働しなくても、関西の電力が不足しないことはもう明明白白だ。本当に関西電力が言うように電力が不足するというなら、まず関電の全発電能力、他の電力会社からの融通電力、電力会社以外の自家発電の総電力量、それに今夏不足するという想定日と時間帯にどれくらい足りないか、これらの需給量を明示してみろ。
もし、関電が斑目じゃなかった出鱈目なデータを出せたとしても、たかだか数日の数時間だろう。それくらいの日常生活での節電や会社操業時間の変更は、国民にとって大きな負担にはならない。
枝野にいくら「原発がないと何が起きるのか」と恫喝されようが、ぼくたちはへっちゃらだ。だって、なにも起きないし、困らないんだもの。それより、原発があるほうがよっぽど恐いんだもの。そう、「原発があると何が起きるのか」いや「何が起きたのか」、ぼくたちはもう嫌というほど、その恐ろしさを知ってしまったんだから。
仮に原発が動かなくて、夏の数日の数時間、停電になったとしても、原発が爆発して何千万人が被曝し、13か月以上たっても16万人が避難生活を余儀なくされ、大地や海が「死の放射能」で汚染されるよりも1兆倍、いや1京倍(兆の1万倍)、1垓倍(「京」の1万倍)ましだ。いやいや、そもそも比較なんてできない。
これはぼくだけの意見ではなく、圧倒的多くの人がそう思っていることである。現にけさの朝日新聞(以下のデータは4月15日朝刊)の調査ではこんな結果が出ているのだから。
●野田内閣の大飯原発再稼働妥当との判断に……
賛成28%・反対55%・その他、答えない17%●政府がきめた暫定的な安全基準を……
信頼する17%・信頼しない70%・その他、答えない13%●政府や電力会社の電力需給見通しを……
信用する18%・信用しない66%・その他、答えない16%そして合わせて実施された「内閣支持率」は、「支持する25%」で「支持しない52%」である。
これは昨年12月の31%から長期低落傾向をはっきりと示しており、このポイントの推移は、野田内閣の「収束宣言」から「再稼働」という原発推進政策と軌を一にする。
そんな世論の動向にびびる野田内閣は再稼働の最終決断を逡巡している。それは再稼働することで原子力村の利権に貢献して自分たちもその分け前にあずかるか、それとも再稼働しないで世論の支持率を上げて内閣の延命とつぎの選挙を有利にするのか、という選択のためだ。
それはまた、野田内閣が原子力村の「村民」を代表するものか、日本国の「国民」を代表するものか、の選択でもある。
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