2014年1月7日火曜日

日本は世界を破滅に追いやる原発ではなく、人類を救済する和食を広めたい


ぼくが天皇家の食卓に興味をもったのは、もう20年ほどまえにあった講演会がきっかけです。
 
講師はマクロビオティックの大家とされる久司道夫氏。
 
そのとき醤油の話となり、天皇家で使われている醤油は、ぼくたちがスーパーで買うものとは、その材料や製法がちがうものだと聴かされ、ぼくはちょっとした衝撃を受けたのです。
 
その話を集約すると、ぼくたちが日ごろ使っているのはまがいもので、天皇家の醤油こそ伝統的製法に則ったほんまものであり、それは健康にもすぐれているということでした。
 
ぼくはそれまで、醤油にたいして、何の思い入れも知識もありませんでした。
 
でも、この講演を聴くや、醤油だけではなく、伝統製法でつくられた食材や調味料にも興味をいだき、またそれを食卓で実際に使用している天皇家の食卓というものにも関心を寄せたのです。
 
そして「天皇家の食卓」と題した企画書を、当時まだ設立ほどないDHC出版に持ち込み、これがあっというまに通り、1997年に発刊となったのです(その後、2000年に角川ソフィア文庫で出版)。
 
執筆に入り、すぐに天皇家の醤油を調べてみると、どうやらキッコーマン製です。キッコーマンなら、スーパーでふつうに売っています。なんだ、キッコーマンかい、とあなどってはいけません。
 
天皇家の食卓にのぼるのは、伝統的製法の特別醸造だったのです。
 
ちなみに、キッコーマンは伝統製法の「御用蔵醤油」(これが天皇家で使用されているかどうか定かではありませんが)を一部スーパーでも販売しています。
 
わが家でも、ほんまものの醤油の風味のうまさに味をしめ、この本の執筆開始と同時に、全国各地の醤油醸造元の伝統製法を頂いています。
 
こんなほんものの醤油をつくる醸造元は、現代の日本にもまだまだ数多くあります。ぜひ一度お試しあれ。
 
醤油は「和」の大傑作です。
 
きっと、その芳醇なひとしずくに日本の食卓、そう「和」の食卓の精髄を知ることでしょう。

 昨年12月、ユネスコが日本の伝統的な食である「和食」を無形文化遺産に登録しました。
 
ぼくは『天皇家の食卓』を執筆するにあたり、「和」というものに出会わざるを得ませんでした。
 
いみじくも、日本最初の成文法とされる十七条憲法のはじまりは「和を以って貴しとなす」です。
 
では日本人的心性の特徴とされる「和」はなんでもって涵養されたのか。
 
それは日本独自の食卓にあるのではないか、と天皇家の食卓を執筆する過程で確信するに至りました。
 
そう「和」の食たる「和食」です。

また日本初とされるヤマト統一政権ですが、ヤマトは大和と充てられるように、ここでも「和」が用いられています。
 
政治的にも「和」が大きな意味を有しているのです。
 
この「和」は「禾」と「口」からできていますが、「禾」は稲を意味します。
 
日本という国家は稲作水田を灌漑することで誕生した国であり、この過程で日本人独特の心性も育まれたのです。
 
和はおだやか、仲良くすること、調和がとれているという意味で、おおよその日本人に当てはまるのですが、また度が過ぎた同調圧力や協調性を求めるということも当てはまります。
 
灌漑工事と水田の維持管理は、どうしても強力な和の強制が必要だったのです。

ところで、朝食が「トーストとハムエッグ」という日本人はかなり多いはずです。
 
このイギリス伝統のコンチネンタル・ブレック・ファストを日本で最初に始めたのは誰だかご存じでしょうか? 
 
なんと天皇家なんです。
 
おそらく日本の朝食の定番メニューを「トーストとハムエッグ」としたのは裕仁(昭和)天皇としてまちがいありません。
 
この「トーストとハムエッグ」のみならず、日本人の食卓の源流にはいつも天皇家の食卓がありました。

和食は「縄文の食卓」「卑弥呼の食卓」「平安朝の食卓」そして「禅寺の食卓」で、その母型がかたちづくられますが、和食を食するということは実は仏教を食するということでもあります。
 
おっと、ついつい書きすぎました。
 
まあ、ユネスコが無形文化遺産にするまでもなく、和食は後世に継承されなくてはなりません。
 
伝統的和食は生活習慣病をふせぐとともに、人口増加による食糧危機にも対応できるものです。
 
日本は世界を破滅に追いやる原発ではなく、世界を救済する和食こそ広めたいものです。
 
それがなぜ、そうなのか?
 
ぜひ、『天皇家の食卓』(電子出版復刻版)をお読みいただきたいものです。


*なお、この本から筆名を秋場龍一から秋葉龍一に改名しました。

 

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