そのでかい赤色ゴシックフォントの背景には紺碧の五色沼、その下にはTOKIOのメンバー5人が遠くを見ながら笑顔で立っている写真、さらにその下には、「ふくしまからはじめよう。」というキャンペーン案内。そして一番下に「福島県」という広告主のロゴが入っている。
この広告、ものすごく無理やり良心的に考えて、「シュールなアート」か「ブラックユーモア」ってところだ。
キャッチコピーの下にボディコピーがあって、「福島の秋はにぎやかです。美しい自然、旬の食、伝統の祭りの数々。楽しくて、おいしくて、どこか懐かしい風景がここにはあります。山と海と人に恵まれた、日本のふるさと。福島は、あなたを待っています。」
――どうだろう。これ、どう見てもシュールでブラックだよね。
もちろん、この広告のどこにも東京電力福島第一原発事故のこと、高線量の放射性物質拡散のこと、淡水魚の被曝のことなど一切見当たらない。
まるでチェルノブイリを超える原発事故などなかったような、平和で幸福で健康にあふれた紙面である。
どうやら、大々的に「原発事故なんてなんでもないよ」「放射能なんてぜんぜん怖くないよ」キャンペーンを展開して、またあらたな「安全神話」に着手したようだ。
ぼくもかつて広告制作にタッチし、コピーライターを生業にしたことがあるためか、ものすごく気になることがある。
この新聞広告は大手の広告会社が請け負い、その会社の社員か協力会社の制作者たちがたずさわっており、それはもちろん個々の生身の人間である。
ぼくはそんな彼らの心情を知りたい。そう、どんな気持ちでコピーライターの君は、「ふくしまは、元気です。」というコピーを発想したのか、ということだ。コピーライターばかりではなく、クリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナーなどにも訊きたい。
これまで原子力安全神話を具体的に創作してきたのは、業界でクリエーターとよばれる君たち制作者だ。危険な原発を稼働させるためには、原発は絶対に安全である、と人びとを信じさせる世論づくり、「安全神話」が必要であった。
そして、フクイチ事故が起きたのだけど、これら「安全神話」の制作者たちは、よもやこの史上最悪事故の責任はないとは考えないはずだ。
たとえば、コピーライターの君――。
「ふくしまは、元気です。」なんて、君はそうは思わないし、このコピーがどんなに悪意に満ちたものか百も承知だろ。
自分が持って生まれた文案センス、培った広告能力を悪魔に売り渡すなよ。ぼくはかつて同業者だった君たちに、怒りよりも憐れみをおぼえる。君が与えられた能力を発揮するのはだれか、胸に手を当てて考えてほしい。
――満腔からそう願う。
5 件のコメント:
元ADとして、とても共感しました。
日宣美華やかなりし頃、
広告は文化だ!日本を少しでも美しく!と
義務感に燃えた若き日を想い、
現在の広告界に絶望してしまいます。
私は 元 テレビの構成作家です。
元 というのは、あの原発事故以後、職をやめたんですが、その大きな理由の1つに「グルメ番組や旅番組で(仕事として多かった)東北のものがウマイ・東北安全、福島大丈夫… とかナレーションや構成台本かけないなぁ」というのがあったのですね。
今は放射能の心配もあり、東京を離れて職も別のものにめぐりあい生活をしています
生活のため、広告・PRで「安全神話」に軽い気持ちで加担するシーンは、広告業界・メディアに関わっている人は多いでしょうね…
個人の 価値観やモラル、思想、本当に考えていて伝えたいこと、全ての表現者が、自分が伝える重さを今こそグッと自覚すべき時かと思ってます。
こうしたブログの存在、とっても意義が強いと思いまして、一言投稿させて頂きました!
現役のコピーライターです。
わたしも、この新聞広告を見て同じように違和感のようなものを感じましたが、フクイチのことに話題が転嫁していることに想像力の欠如を感じました。
この広告を制作するに当たって
いまも福島にはたくさんの人が住んでいて、
風評被害に悩む1次産業従事者がいて、
観光の誘致もしなくてはいけなくて。
そういう現状をなんとかしたい(しなければ)というオリエンの結果であることはゆうに想像がつきます。
こういった議論が出るのは承知での出稿と思いますし、
書いたコピーライターの力量といってしまえば、それだけのことだと思うのですが。
政治、世論が本質的な支援と、都合の悪いこと
をごまかし、責任から逃れるだけの行為を混同
しているように感じます。
今の生活に執着し、その生活を失う恐れがある
ために、明日のため、将来のためだと思ってや
っていることが、逆にその明日、未来を我々か
ら奪ってしまうことに気付けないのは皮肉なも
のです。
IPPNWが広島で開催した核戦争防止国際医師会
議国際大会に参加予定だった9人の医師に外務
省はビザを発給しませんでした。
大会後に、このIPPNWは福島の原発事故と人々
の健康というテーマで国際シンポジウムを東京
で開催しましたが、ここでの発言、関連調査を
恐れてのことだったと思います。
ビザを発給しなかった個別の事情は説明してい
ない国に対し、そして人権、子供の命を無視し
た国の処置に対し、国際世論も注目しはじめて
います。
福島、そして日本、世界のために、今の日本が
本当にすべきことは何なのか。
一人の人間として、冷静に考えるべき時と思い
ます。
こんにちわ
日本の限度のなさには、いささかあきれかえっており
実は、8月にピーチプロジェクトなるものが企画され
大阪の子供を、「わざわざ」福島の高汚染地帯に連れて行き、「わざわざ」被ばくの可能性の高い空気を吸わせ、「わざわざ」放射能含有の可能性が高い福島の桃を食べ放題 させる
それも御両親からお金を払わせ...
幸いにも中止になったそうですが、大人を対象にした同じ企画を進めてる。という話も
どうかしてると思いますね この国は
この福島は元気です の謳い文句しかり
日本人の節操のなさ
目を覆う物があります
何故、悲惨な現実を見つめ、それをごまかすことなく、真っ向から取り組まないのか?
なぜ一番大事な命、健康を必死で守ろうとしないのか?
必死になっても、守り切れるかどうかわからないほど恐ろしい、厄介な放射能という物相手に、こんだけだらだらいい加減にしてたら守れるものも守れないと思うのです
幻滅してる場合ではないので、一人一人の国民が他人事と思わず、真摯に向かい合い、声を上げていくべきだと、それしか道はないと思っています
私もブログを持っていますので、この記事をそこで紹介させていただきます
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