そしてはたと、「そうか、ブッダは苦しみと真っ向から向きあい、取り組んだから大悟することができたんだ」と気づいたのだ。
仏教はこの世を苦の世界と説く。
ちなみに「四苦八苦」は仏教タームで、人のあらゆる苦しみをあらわしたことばである。
ただ、ここでの「苦」は、「人間として逃れられない必然的な苦しみ」とか「思うようにならないこと」という意味だとされる。
ぼくは以前、この「苦の教え」に疑問というか反発をもっていた。
だって、この世って、苦しみばかりじゃないもん、楽しいことだっていっぱいある、と。
この世は苦の世界って言われると、夢も希望もない、救いのない気持ちになったからだ。
でも、ここ数年で、この「苦」にたいする疑問と反発が、すこしずつゆるみはじめている。
それは苦しみのなかで、人間は自分を見つめることができる、ということを知ったからだ。
たとえば、病気で痛みや不快な症状に悩まされているとき、自分がいま生きているという現実感を嫌というほどおぼえる。
まさに「病を得る」なのだ。
まあ、あまりありがたくはないリアリティだけど、苦しみは生きているという実感を得させてくれる。
とはいうものの、苦しみはいいものだとか、苦しめ、苦しむがいい、というものでもない。
あまりの苦しみにたいしては、そういう苦というものを存在させたこの世をうらむし、もし神がこの世を創出させたのなら、なぜここまでの苦しみを神は与えなければならないのか、とも思う。
そしてそう思ういっぽう、苦はありがたいものなのだ、とも。
そういえば、こんなことばを思い出した。
正確ではないけど、「苦しみのない人生にはさとりもない」というもの。
これ、たしか吉福伸逸さんが述べてたよね……。
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