1954年6月、世界初の原子力発電所であるソ連のオブニンスク発電所が運転を開始した。それから58年たち、原発は世界各国で建設され、現在、全世界に433基の原子炉がある。
この間、小さな事故はほぼ毎日、あわや大事故というのはほぼ毎年報告され、そして大事故は「スリーマイル」「チェルノブイリ」「フクシマ」と3回を数える。
大事故の確率は約19年に1度だ。
ただし、フクシマはいまだ事故継続中であり、毎日放射性物質が環境に放出され、再臨界が疑われ、4号機にいたっては建屋が傾き、いつ倒壊して燃料プールから大量の放射物質が放出されるかもしれない。セシウムに限定しても、すでに放出された10倍の量だ。
もしそうなれば、東日本はおろか、日本列島全域、いや北半球に生存できない可能性もある。いま、震度5~6以上の地震が福島で起こると、「ぼくたちはおしまい」といってもいい。
「仏の顔も3度まで」という。つぎの4度目の大事故は、地球の生物環境の終局かもしれない。このまま原発を稼働させると、確率の専門家に計算してもらうまでもなく、すくなくともこの20年間に大事故が起こるだろう。
原発の危険性は、なにも大事故だけではない。原発がごく「正常に運転」されても、放射能汚染と被曝からは逃れられない。
まず、原発の燃料を掘り出すウラン鉱山からは大量の高線量放射性水の漏出によって周辺の環境を汚染し、地域住民にガンや流産、奇形が発生している。
また原発を運転する作業員の被曝は避けられない。原発は作業員の被曝を前提とする発電プラントなのだ。
さらに原発周辺住民は、白血病が全国平均の10倍以上多い。厚生労働省の「人口動態調査」(2009年9月15日)によれば、白血病は全国平均で人口10万人に6.0人だが、玄海原発のある佐賀県は9.2人、唐津保健所管内は16.3人、そして玄海町は61.1人である。そう、全国平均より11倍も多いのだ。
そして、原発大問題のおおとりは、使用済み燃料の「核(放射性)廃棄物処理」である。この「処理」とは、10万年安全に管理しなければならないことを意味する。つまり、ぼくたちが原発で生んだ電気エネルギーを使うことは、10万年にわたる未来の人たちへ負の遺産をのこすことになる。
その核廃棄物がたとえば2000年後、環境に放出されれば甚大な被害をおよぼすことはまちがいないだろう。2000年という歴史的時間をさかのぼれば日本列島では縄文時代である。さらに10万年後までさかのぼると、ホモ・サピエンスがアフリカを出て中東からヨーロッパに進出したころだ。
それに巨大地震は10万年となると、いったいどれだけの数起こるだろうか。ちなみに有史以来の巨大地震をまとめたチャートがネットで公開されているからご覧いただきたい。(「G-ma地震研究シリーズ/E-005世界の主な巨大地震」http://homepage2.nifty.com/GmaGDW/grw/wdr/wdr005.htm)
そして、10万年の耐久性のある容器など存在しない。
原発というものは、この世に存在をゆるされない「悪魔の発電プラント」である。物書きは、そうたやすく「悪魔」などと断定しない。なぜなら、世の中の「断定」を疑うことから、この仕事は始まるからだ。絶えざる相対化の試みこそが、この仕事の真価である。
だが、いくら試みても、原発が悪魔の存在である、ということを否定することができない。そして、またいくら試みても、こんな原発をなくす行為は正義である、ということも否定することができない。
ぼくは6月29日、「正義の行為」に参加する。
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