そんなところに寝そべっているんじゃねえ
きょうは朝から雨もようの、ここ千葉県柏市です。きのうまでの数日、春の陽気にさそわれて近くの公園には子どもづれの親子が多く集まり、芝生の上でお弁当をひろげたり、寝そべったりして、一見のどかで平和な、いつもの春の光景です。
しかし、わたしのことしの春の心情は、のどかでも平和でもありません。いつもの春ではないのです。こころのなかで、「そんなところに寝そべっているんじゃねえ」とさけんでいます。ほんとは、口にだしたいのですが、なかなかそうもいきません。
なぜ、さけびたいのか。もちろん、芝生に舞い落ちた放射性物質を危惧してのことです。政府や自治体の発表では「ただちに人体に影響をあたえる放射線量ではない」かもしれませんが、そんなことばの印象を真に受けて、「安全」と安心してはいけないのです。
たとえその放射線量が微量であったとしても、放射性物質が舞い落ちた地域で住んでいるかぎり、その量は積み重なっていくのです。なので、それが微量であっても10日住めば10倍、100日住めば100倍の放射線をあびることになるかもしれないのです。微量であっても「被ばく」しているということを、くれぐれお忘れなく。
しかも、地面に落ちた放射線量は大気中で測定したものよりも圧倒的に高いのです。測定地点によっては、大気と地面では10倍の差がでています。自治体が発表している地域の測定値は大気中のものなのです。ですから、芝生の上に座ったり寝そべったりすると、大気の数倍の放射線をあびることになります。
そして、わたしが何としても訴えたいのが、子どもを放射線から守ろうということです。生長期の子どもは、おとなとくらべて数倍から数十倍も放射線に弱いのです。
放射線は眼に見えません。ただちに障害がでることも多くありません。それをいいことに、政府、東京電力、御用学者、テレビ報道などは、さも安全であるようなイメージを振りまいています。でも、彼らは絶対に「安全」とは断言していない。「ただちに健康への影響はない」と言っているにすぎないのです。「ただちに」がどれだけの時間がはっきりしませんが、「ただちに」が過ぎたときのことについては、一言も言及していないのです。
わたしはそうならないことを願いつつも、かなり危惧しているのですが、いまから数カ月から数年たって、子どもたちに甲状腺がんや白血病が増えたとき、政府、東京電力、御用学者、テレビ会社に「おまえたちは安全だと言ったじゃないか」と追及しても、彼らはすっとぼけた顔をしてこう言うでしょう。「ただちに健康への影響はないと言っただけです」「安全だなんて言った覚えはありません」――と。
▶わたしがもっとも信頼している原子力専門家である小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)の意見をまとめたサイトです。
http://hiroakikoide.wordpress.com/
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