2010年10月29日金曜日

超能力と科学

本日の金言……1

『邪悪なものの鎮め方』

内田樹(著)、パジリコ、2010
……私たちが「客観的根拠」として提示しうるのは、私たちの「手持ちの度量衡」で考量しうるものだけであり、私たちの「手持ちの度量衡」は科学と技術のそのつどの「限界」によって規定されている。(p154

 あらゆる科学的命題はそのつどの科学的技術の(おもに計測技術の)限界によって規定された暫定的な仮説であり、(しばしば計測技術の進歩によって)有効な反証が示されれば自動的に「歴史のゴミ箱」に棄てられる。
 「超能力」とか「霊能力」と呼ばれる能力は現に存在する。ただ、私はそれを別にそれほどのスペクタキュラーな能力だと思っていない。潜在的には、そのような能力は誰にでもあり、それが開花するきっかけを得た人において顕在化しているということだと思っている。(p157

これがまっとうな「科学観」というものだろう。いまだに科学をまるで万能の神のようにたてまつる風潮があるけど、科学というものは、そのときの「現時点」における「暫定的な仮説」にすぎない。
人をかどわかす荒唐無稽な「超能力(者)」や「霊能力(者)」を金儲けのツールにしている者や団体も事実存在している。だからといって、「超能力(者)」や「霊能力(者)」が、まったく存在しないことを証明することなど、現代科学には到底不可能なのだ。
卑近な例では、「幽霊を見た人」など、そこらじゅうにいるだろうし(ただし、ぼくはいまのところ幽霊を見たことはないが)、その幽霊を見たという人がウソをついているとは考えられない。おそらく、あなたの周囲にも、そんな人がひとりやふたりはかならずいるはずだ。
それを「科学的にはありえない」とか「幻覚ではないか」とか「幽霊に似たものを勘違いしたのでは」とか、という理由で否定する自称「科学者」も多いけれど、こういう態度はけっして「科学的」とはいえない。この場合の科学的態度とは、幽霊がいないことを証明する科学的根拠を提出することである。それが提出できないのであれば、「科学(的)」ということをバックボーンにしないことである。
あまり意味があるとは思えない国勢調査や内閣・政党支持率などの世論調査を国やマスコミがやるより、たまには「あなたは幽霊を見たことがありますか?」という全国調査をしたほうがおもしろそうだ。
だけど、こんなことを書いたからって、くれぐれインチキ「超能力(者)」や「霊能力(者)」に騙されないでいただきたい。そういう邪悪な者って、人が弱っていたり、救いを求めているときに、するするっと忍び寄ってくるから、ご注意、ご注意。

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