また、いま本をアマゾンに発注してしまった。
ぼくが本を読む寝床(ぼくは畳の上で寝るのが好きだ。自由でのびのび寝られるから。ベッドは空間にしばりつけられたような気分になる)やソファーや机のまわりには、読みかけの本が乱雑にほってある。
ちょっと調べてみよう。自分でも、いまどんな本をどれだけ同時に読んでいるのか掌握していないのだ。
『無境界』ケン・ウィルバー
『ミドル・パッセージ』ジェイムス・ホリス
『奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー
『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆
『BinDの教科書』デジタルステージ監修
『旅をする木』星野道夫
『思想家河合隼雄』中沢新一・河合俊雄編
『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するのか』ルドルフ・シュタイナー
『哲学者とオオカミ』マーク・ローランス
『ものはなぜ見えるのか』本田直人
『年金大崩壊』岩瀬達哉
『理由』宮部みゆき
『身体を通して時代を読む』甲野善紀、内田樹
『すぐにわかる!電子出版スタートアップガイド』マイコミムック
『死の処方箋』ラム・ダス
『偶然とは何か』竹内啓
といった具合だ。そして、いまなんだっけ、えっと村上春樹の『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を発注したのだった。しかし、このタイトルのセンスは抜群だな。
読みかけて、もう一カ月以上、ほっぽらかしの本も何冊かあり、いまこうやって書いてみて忘れてしまっているのもあった。でも、本を買うときは、ぼくなりにそれなりの切実さがあって求めているのだけど。
まあ、この人生で、困ったときは、とりあえず本屋や図書館に出向き、いまではアマゾンを開くことが多くなったけど、それなりの救いはあったはずだ。
本をあまり読まない人もいるけど、それはそれで本人の勝手というものだが、本を読まないで、この渡世をサバイバルできるということに感心してしまう。
本は人生に溺れた時の浮輪のようなもので、ぼくの場合はこれまで、もう何千という浮輪が必要だった。
その浮輪のなかでもっとも頼りになったのが、一番にあげた『無境界』だ。ぼくはカバーをとって読む癖があるのだが、その白い表紙は手あかにまみれ、かなり汚れている。ぼくのは9刷で1993年発行となっているから、おおよそ17年ほど、この本を持ち続け、そのあいだに7、8回は読んでいるはずだ。
この本を本棚から引っ張り出すのは、人生に困ったとき。でも、だいたい年中困っているから、とくに困っているときかな。ということは、いま寝床にあるってことは、そういう時期っていうわけだろう。
しかし、何回読んでも新しい発見があって、目覚めさせてくれる。噛めば噛むほど味があるというか、再読するたびに目の前が開けるというか、自由と勇気を与えてくれるのだ。
まあ、それは自己成長のあかしであり、あるいは驚くほどぼくの成長が遅々としているというあかしでもある。なんといっても副題が「自己成長のセラピー論」だもの。座右の書といえば、まちがいなくこの本を選択するだろう。ケン・ウィルバーの本はほぼ全部読んでいるが、これがいちばん好きだ。
さてさて、ぼくの渡世、これから何回、この本を引っ張り出すことやら……。
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