そのときだった。本を読むための照明が消えた。なんの前触れもなかった。
なにが起こったのだろうかと頭を整理する前に、妻がぼくの部屋に来た。仕事をしていたパソコンのモニターが消えたと言う。
このとき電気が止まったことに気づいた。家中の電気製品を調べてみると、すべて止まっている。電話も冷蔵庫も。照明はどの部屋も点かない。
停電? 数分たって、妻がはっとなにか思い出したように言った。「もしかしたら――」妻は手紙や葉書などの束を調べはじめた。
すぐに、電気料金支払いを促す「電気料金お支払いについてのお願い」という紙が出てきた。それには、支払いがないと電気を止める旨のことが書いてある。
これだ。料金不払いで、電気を止めやがった。
自宅の玄関先にはインターフォンがあって、もちろんボタンを押せばピンポ~ンと鳴る。だが、この音は聞いていない。
すぐに近くのコンビニで支払いをし、それから1時間ほどのち電気は回復した。
それにしても、こうもあっさりと東京電力は電気を一方的に止めるものなんだ。
それはあまりにも事務的というか、情け容赦ない仕打ちというか、暴力的といってもよい。場合によっては殺人行為だろう。
電気・水道・ガス・電話はライフラインと呼ばれている。そう日本語では「命綱」「生命線」である。現代社会はこのライフラインと密接に結びつくことで成り立っている。
たとえば、自宅で生命維持装置をつけて療養中の人が、突然電気を止められたらどうなるのか。停電時のときのためのバックアアップ装置があるかもしれないが、それが機能しないことも十分に想定される。
そんなことを東電は気づかないのか。
現に、東電福島第一原発は3・11の大震災のとき、万全であるはずのバックアップが機能せず、人類史上未曽有の超巨大事故を引き起こしたのではないか。
電力会社が自社の施設に電気を通すことができなかったのだ。電気が止まって、原発が爆発したんだ。
そして何千万人が被曝し、東北・関東・北陸・中部地方一帯が放射能汚染され、現在も16万もの人たちが避難生活を余儀なくされている。
そう、電気が止まるということによって、どういう事態をまねくことになるのか、どこよりもよく知っているのが東京電力ではないか。
わが家では、年末から年始以降、近親者の相次ぐ死亡や火急の用事に忙殺され、ついうっかり電気料金を払うことを失念していた。
世界一高い電気料金に不満はあっても、支払う意志はあった。なのに支払期日が過ぎたという一点の理由で、一片の「電気料金お支払いについてのお願い」の通知で、東電は電気を止めたのだ。
ぼくは止められたとき、パソコンを使っていなかったが、妻はパソコンで仕事をしていたときだった。
仕事中おりおりに、データの保存はするものの、どうしたって保存できない時間というものはできる。そして、電気が止められたとき、保存していない部分のデータは消えた。
場合によっては、電気が止まることでデータやパソコンのハードが壊れることもある。仕事によっては、1年以上かけて積み重ねてきたものもある。それが電気を止めることで、一瞬にして消滅してしまうことがあるのだ。
こんなことは、いくら「想定外」が好きな東電も、いくらだって想定できるだろう。
この「電気料金お支払いについてのお願い」の裏側には、「電気供給約款のご説明」なる文言があった。
そのなかに「損害賠償の免責」という項目があって、「上記の供給停止により電気の供給を停止した場合には、当社はお客さまの受けた損害について賠償の責めを負いません」とある。
なるほど、電気を止めることで人が死のうが、1年以上かけた仕事を消してしまおうが、一切賠償しないと公言しているのだ。
さすが人類史上未曽有の大事故を起こしながら、損害賠償協議では賠償することを渋ったり、可能な限り低く見積もったり、また賠償で裁判にかけられると、福島第一原発から撒き散らされた放射性物質は「無主物」として東電の所有物ではなく、除染の責任はないと主張する会社だけのことはある。
こんな横暴というか、でたらめな企業姿勢がとれるのも、すべては電力の発電と供給の地域独占がまねいていることである。
一刻も早く発電と送電を分離して、複数の電力会社が自由に電気を売れるシステムにすることだ。
電気という命綱を現有の電力会社に独占させておくと、世界一高い電気料金をとられたり、いとも簡単に命綱が切られたり、そしてあげくは放射性物質という死の灰まで浴びせられる。
この電気を止めたことについて、東電のカスタマーセンターに電話でたずねた。電気を止めることで人が死ぬことが考えられるし、データが消えることもあるが、それについてどう考えるか、と訊くとこういう返事だった。
「電気供給約款にそって、連絡がない場合は、やむを得ず止めることがあります」
それはまったく想定内のことばだった。受話器から聞こえてきたのは、無味乾燥とした無慈悲な語感だった。
電気を止めることで、人が死のうがどうしようが、そんなこと知ったこっちゃないんだよね。ぼくはそう受け止めるしかなかった。
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