大飯原発の「再稼働」がまぢかに迫っている。ここ数日中に政府は再稼働のゴーサインを出すだろう。
野田首相は17日夜のNHK番組で、大飯原発3、4号機の再稼働について「判断の時期は近い」とし、その判断にあたっては「立地自治体の意向は最優先で考え」、「自治体に任せず、政府が責任を持ち、最後は私のリーダーシップでしっかり意思決定したい」と述べた。
なぜ「周辺自治体」ではなく「立地自治体」なのか。原発が爆発したら立地自治体だけじゃなく、そのはるか「周辺」にまで被害が及ぶことはフクイチ事故で十分知ったはずだ。福島第一原発から300キロ以上離れた静岡のお茶から、今年も高濃度のセシウムが検出されたことをみてもあきらかである。
また「自治体に任せず、政府が責任を持ち、最後は私のリーダーシップでしっかり意思決定したい」とは、「滋賀県や京都府など周辺自治体の言うことなんか無視して、とても政府が責任なんてとれないけれど、俺がもってる首相としての権力で再稼働する」ということだろう。
それにしてもよくもまあ「政府が責任を持つ」なんて言えるものだ。原発事故の責任は、人間はだれひとりとしてとれない。というか、責任のとりようがないのだ。セシウム137の半減期30年、プルトニウム239は2万4千年。そしてこの放射能の強さは、半減期の10倍の時間を経ないと千分の1にならない。
野田や枝野など政府閣僚のほとんどは、30年後にはこの世にいないだろう。死んでる者がどうやって責任をとるというのだ。その事故の大きさによっては国家でも、いや世界のすべての国家によってもとれない。
それにこの国では、その責任者が生きていても、まったく責任をとろうとしない。
それは14日の「国会事故調査委員会」に参考人招致された東電の勝俣恒久会長は東電トップとしての責任は認めなかったし、同じく16日に「調査委」に参考人招致された経済産業省の松永和夫前事務次官は責任逃れ発言を繰り返した。松永は原子力安全・保安院長などを経て、2010年から11年8月まで経産次官を、事故後は経産省の事務方トップとして対応にあたった人物である。
フクイチ事故という人類史上最悪の事故(犯罪といってもいいだろう)の最高責任者(犯人)が、公衆の場で責任を認めないのだ。そして司法機関は責任を追及しようとしないし、その気配もない。
まっとうな「法治国家」なら、すくなくともこの勝俣と松永の両氏は、東京都葛飾区小菅1丁目35−1に住んでいただかなければならないはずだ。そう東京拘置所である。なぜ、このふたりが手錠もかけられず、国会でしゃべっているのか。このふたりが逮捕されないのなら、もうどんな大事故の責任者や凶悪犯も逮捕できないのではないか。
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