2011年10月7日金曜日

【ただちに危険だ! 原発通信】№12 

[ブラックエネルギーからグリーンエネルギーへ!]


 
市民サイドにたったように見せかけて、
巧妙にはめる報道手法はもうやめようね。
 




フクシマの原発事故以来、放射能汚染に関することで市民からさまざまな不安がもちあがる。すると、マスメディアはそれを抜け目なく取り上げる。なかには、意図的かどうかしらないけど、まったく無視することもあるが。



その取り上げ方に、一定のパターンがある。



たとえば、放射性物質に汚染された食品についてだ。この問題は、多くの人が不安をもっており、マスメディアも取り上げることが多い。



「放射能に汚染された食べものはだいじょうぶ?」みたいなキャッチで、さも市民サイドにたったように記事は書き出し、番組はスタートする。



記事は番組は起承転結と進行し、いよいよまとめにはいる。そして、じゃ~ん、きまってその問題の専門家と称する者が登場する。ほとんどが有名大学の学者の肩書をもった先生だ。御用学者という肩書もある。



彼らは温厚そうな人柄と滑らかな口調で、こうのたまう。「これぐらいの量なら、1年間食べ続けても、なんの問題もありません」と。



記事は番組は、先生の「なんの問題もありません」ということばの余韻を残して終わる。



とくにこのパターンが多いテレビ局がNHKだ。NHKはニュースやバラエティとドキュメンタリーではあきらかに趣意が異なる。



ごく単純化すれば、ニュースやバラエティは「放射能汚染なんてたいしたことはない」、ドキュメンタリーは「放射能汚染はかなり深刻である」というように映る。



人によってニュースやバラエティは「不安を煽らない冷静な対応」であり、またドキュメンタリーは「いたずらに不安を煽っている」となるだろうし、また別の人によっては、ニュースやバラエティは「意図的に汚染や被害の実態を低く見積もったもので、原発推進の意図が隠されている」となるだろうし、またドキュメンタリーは「ジャーナリズムとしてほんらいの仕事をしている」となるだろう。



ただその波及効果というか影響力はニュースやバラエティのほうが強いだろう。またまたごく単純化すれば前者は「印象づけ」であり、ドキュメンタリーは「論理的説得」である。



論理的にはヘンなのだけど、とにかく印象づけてしまえば、それが「ニッポンの常識」として、日本人の空気のなかに浸透する。



このことをもっとも熟知しているのが権力者である。今回の原発事故でもその「印象づけ」が効果を発揮した。その最高傑作のキャッチコピーが「ただちに健康への影響はありません」「風評被害」である。



また、原発稼働以来の「印象づけ」の集積によって、それはいつしか「安全神話」となる。そう、不可侵のゴッド・コピーとしてまつりあげられるのだ



次は新聞だ。新聞記事も、記者が本当に伝えたいことを、文末で他者に語らせることがある(まあぼくも、この手をときどき使うけど)。その典型を929日の朝日新聞科学欄で見た。



見出しは「被曝線量低くても発がんリスク」。この見出しを見たぼくは、「お、朝日も低線量被ばくの危険性をあきらかにするんだ」と、ちょっと期待しながら本文に目を通す。



米国立がん研究所が胸部X線と乳がんのリスクを長期間調査し、X線による被ばく線量が多いほどがんリスクが上がること、また自然環境からの被ばくが小児白血病のリスクになっている可能性があること、そして福島原発事故の影響で固形がんの発生リスクを、ICRPの予測モデルを使ってシミュレーションしたものなどを紹介してゆく。



ぼくはここまで読んで、ICRPという原発促進サイドのデータをもとにしていることには大いに不満だったけれど、でもそれなりに良心的な記事だという印象をもった。ところがこの記事は次の一節で終わってしまったのだ。



――イワノフさんは「実際の福島県の住民の被曝線量はまだはっきりしていない。これぐらいリスクが上がるとしても、喫煙よりずっとリスクは低い。心配しすぎないで欲しい」と話している。



イワノフさんとはロシア保健・社会開発省医学放射線研究所の副所長。専門家しかもチェルノブイリ事故を経験したロシアの専門家が、「喫煙のリスクより低い、心配しないで」と話せば、それなりの説得力がある。



そしてこの記事は「放射線はタバコより安全」という印象を残して終わる。そしてぼくは深い溜息をつく。「ああ、いままでの記事はなんだったんだ」……と。



この記事には「大岩ゆり」という署名がある。大岩さん、この記事の文末、デスクが変えたわけじゃなく、あなたがこういう構成にしたのでしょ? 



あなたの記事を超善意に解釈すると、放射能(放射性物質)におびえている人に、専門家もこう言っているんだから、そんな心配しなくていい、と恐怖を払拭して安心させるために書かれたものとなるだろう。



またこの記事を超悪意に解釈すると、原発事故の被害を過小にみせたい原発村のねらいがあると見られ、大岩さんって、「原発村の広報宣伝員」と思う人もいるかもしれない。



ぼくは超善意でも超悪意があるわけでもないけれど、やはりあの記事の終わり方は問題があると思う。この記事のテーマは人の健康と命にかかわることであり、とくに子どもはおとなより3倍から10倍ものリスクがあるわけで、安易に人を安心させることは、この上もなく危険にさらすことになりかねない。



また、同じく朝日新聞(106日)の東京電力の藤本孝副社長のインタビューの文末は、かなりひどい。引用する。



――定検で停止中の柏崎刈羽原発が再稼働しないと、「来夏の需給は、今年よりもかなり厳しくなる」とみている。



これじゃ東電の原発再稼働に向けた広報じゃないか。そう思わない、竹中和正さん(この記事にこう署名があった)。



この記事はもう明確な原発推進の役割を担っているよね。朝日は読売のように社説で原発推進を鼓舞はしないけど、紙面のあちこちで、じつに巧妙に原発推進、放射線量の20ミリシーベルト基準の前提化、被ばくによる発がんリスクの低減化をやっているように思う。



ときには、良心的な報道もあるけど、軸足は原発推進だろう。



ところで朝日新聞編集局長殿、どうして福島の子ども10人が甲状腺機能に変化があったという報道をしないの(もし、してたらごめんなさい)。この件、真っ当なジャーナリストなら1面トップでしょ。



朝日さん、東電や政府に弱みでもあるの? そう勘繰られても仕方ない姿勢ですよ。


1 件のコメント:

なおも さんのコメント...

あなたが間違ってると思いますけど。