本日の金言……5
『シカゴ・ブルズ 勝利への意識革命』
フィル・ジャクソン、ヒュー・ディールハンティー著、中尾真子訳、PHP研究所、1997
……どんな犠牲を払っても勝つということには魅力を感じなかった。優勝チーム、ニューヨーク・ニックスのメンバーだった時代から、私はすでに、勝利ははかないものであることを学んでいた。そう、確かに勝利は、甘美なものである。けれども、勝ったからと言って、次のシーズンの生活が楽になるわけでもないし、翌日の生活でさえ、楽になるものでもない。歓声をあげる群衆が去り、シャンペンの最後のボトルを飲み干した後は、また戦場に戻って、全てを最初からやり直さなければならない。
人生におけるのと同様、バスケットボールにおいても、真の喜びは、物事がうまくいっている時だけではなく、あらゆる瞬間に、自分が完全に存在することに由来する。勝ち負けにこだわるのをやめて、一瞬一瞬の出来事に注意を集中させれば、物事はえてしてうまく運ぶものだ。(p14)
私は、リラックスしつつ、油断しないでいられるように訓練しようと、視覚化の練習を始めた。ゲーム前、十五分か二十分、スタジアムの人目につかない場所……で静かに座って、これから起ころうとしていることを頭の中で動画として思い描いた。
……
要は、うまい動きのイメージを視覚的な記憶の中にコード化し、ゲーム中に似たような状況になったら、デジャビュ(既視感)のように思えるようにするのだ。(p56)
著者のフィル・ジャクソンはアメリカ・プロバスケットNBAの名選手・名コーチとして活躍した。
プロ、アマチュアにかぎらず、スポーツのトッププレーヤーとして生きていくということは、心身ともかなりエネルギッシュな凝縮力が必要とされる。そのような現場で生きてきた人間の言葉の中には、人生のエッセンスをぎゅっとつかみ取るような珠玉のフレーズを見つけることができる。本書にもそれが随所に見えるのだ。
「私はすでに、勝利ははかないものであることを学んでいた」という言葉は、スポーツプレーヤーからあまり聞かれないけれど、実はそのことを意識的無意識的にスポーツプレーヤーは学んでいるというか、知っているはずだ。「勝利」とはたしかに「甘美」であるけれども、同時に「はかないもの」であることを。
「勝利」とは「結果」であり、結果だけを追い求めているかぎり、それは苦闘でしかなく、またたとえ勝利を得たとしても「甘美」のすぐあとには「はかなさ」がのこるだけなのだ。
では、どうすればよいのか? 著者は答えをすぐに明示してくれる。その答えとは、「……それは真の喜びは、物事がうまくいっている時だけではなく、あらゆる瞬間に、自分が完全に存在することに由来する」である。「あらゆる瞬間」というのは、プロセスというか「この今現在」ということだ。
勝利とは結果であり、結果を求めることは未来を指向することになる。そしてたとえ自分が望んだ結果を得たとしても、それは過去のことであり、はかないものとなる。つまり「真の喜び」とは未来や過去にあるのではなく、いまこの現在にある、ということだ。
たとえば試合中、勝利という結果にこだわると満足なプレーができなくなるものだ。なぜなら、試合中という現在にあって、結果にこだわるという未来に意識が向かうからだ。つまり、スポーツマンがよく口にする「集中」できないからである。そして精神状態は身体の動きに直結して、思わぬミスにつながる。
この「結果」と「現在」、あるいは「結果」と「プロセス」という関係性は、人生を渡っていくうえでのキーポイントである。これは、どんな人のどんな人生であっても普遍性がある。とりわけ、いま「就活」に苦しむ学生たちに、偏差値のために学校や塾に通うこどもたちに、この関係性を知ってもらいたい。
また「視覚化」は、だれにだってできるものだ。アスリートにかぎった話ではない。視覚化とは「夢」→「想像」→「創造」→「計画」→「行動」→「具現化」という流れの前提というか補償のようなはたらきがある。視覚化する行為とは、自分独自のナビゲーションを装着することであり、共時性を生むことの発端となり、よってそれはふさわしく収斂してゆくだろう。
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