2010年10月6日水曜日

神経症とカウンセリング

ぼくは夢分析によるカウンセリングを受けていたと、はじめて書いたこのブログで打ち明けた。ぼくは不安神経症だったので。最初の3~4年ほどは週に1回、それからじょじょに間隔があいて、初回から7年ほどたって終止符を打った。その後、これは分析を受けたいという、「かなり大きな意味」がありそうな夢を数回見てはいるけど、それからはいちども受けていない。

おそらく、「夢分析」なんて信じないという人も多いはずだ。ぼくだって、分析を受ける前は、かなり疑念をもっていた。だって、夢なんて、わけのわからないものと考えるのがふつうだもの。そういう人の気持ちもよくわかるつもりだ。

ぼくが受けた夢分析はユング派の女性カウンセラーだった。このカウンセリングを受ける前に、日本ではかなり有名な男性の心理学者(ユング派ではない)が営むところでカウンセリングを受けたことがある。実際にカウンセリングをするのはその有名な心理学者ではなく、女性のカウンセラーだった。
そこでは、ぼくの話を1時間ほど聴いたカウンセラーが、「あなたは過去の●●のことに思いをもっています」とぼくの話をまとめた。たしかに、ぼくはそういう話を主にした。だからどうなの、という気持ちだけが残っただけだった。けっきょく、それだけで1回目のカウンセリングは終わった。それからいちども、そのカウンセリングには行っていない。このカウンセラーでは何回行っても治らないというか、二度と行く気がしなかったからだ。

しかし、ユング派の女性カウンセラーの場合は、いちどきりにはならなかった。初回受けたときから、もう何時間でも何度でも受けたいという気持ちになった。
カウンセラーに会った瞬間に、このカウンセラーは神経症を治せる人かどうかわかる。おそらく、ぼくだけにかぎらず、神経症や精神的危機に遭遇している人は、実際に合わなくても、そのカウンセラーをテレビで観たり、その人が書いた本を数ページ読むだけで、「ほんもの」かどうかわかるだろう。

それはテレビでよく観かける大学の心理学教授や名の通った大病院の精神科医でも、もう一発でわかる。もう、ほとんどの心理学者や精神科医が神経症のことなんかわかっていない。それはもちろん、臨床の場で、「わかる」か「わからない」かということだ。

逆に、ああこの人なら、というカウンセラーも一発でわかる。その代表は河合隼雄だ。去年だったか亡くなられたけど、テレビでぱっと観て、ああこの人のカウンセリングなら治ると確信した。

また、神経症に関して、いろいろな療法を知ったが、これは治るけど、でもこのやりかたで治したくないというのもあった。神経症のひどいときは、ワラをもすがるというほど心の底から救いを求めているのだが、それでもそういうメソッドでは治したくないという気持ちが勝って受けなかった。
そのポイントは、「元の自分に治す」か、「もうひとりの自分の可能性を受け入れるか」のちがいのように思う。ぼくは後者を選び、ユング派のカウンセリングを受けることにしたのだ。

どのメソッドを選択するのかは各個人のパーソナリティに負うところが決定的で、また個人によって、そのメソッドの適性が異なるだろうから、どれがいいのか良くないのか言えるものではない。ただ、ぼくにはユング派が合っていると思い、それで実際に受けてみて良かったという個人的なケースにすぎない。

それからユング派だから、どんなカウンセラーでもオッケーというわけではなく、クライアントとの適性や、それにやはり力量のある人ない人がいる。ユング派のカウンセラーで、あなたはこの仕事は向いていないという人もまちがいなく存在する。念のため。

あなたが不安神経症(パニック障害とか広場恐怖症という「病名」をもらっている人もいるだろう)でも、かならず良くなるし、またもし、いまその不安の渦中にいるなら、あわてないで静かにしていれば、かならずその不安は去ってゆくだろう。だ・い・じ・ょ・う・ぶだよ。

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