2014年2月27日木曜日

大雪が降った翌朝、積もった雪を見て、原発が爆発して降り積もった放射性物質を連想した

原発が爆発して、ここ柏市の住宅街にも放射性物質が空から降ってきた。

でもみんな、いつものように外を歩いていた。

それはふだんとなにも変わらない光景だった。

だけど、これが雪のように降り積もるように見えたら、あんなふうに外を歩いていただろうか。

おそらく、みんな「正しく恐がった」はずだ。

そう、あの当時、大雪のごとく放射能が降り積もっていたんだよ。

……大雪が降って、道路に積った雪を見て、こんな連想をしたことを、けさ思いだした。

あの当時、ヨウ素やセシウムといった放射性物質が、しんしんと雪のごとく降り注いでいたんだよな。

雪はいずれ溶けてなくなるけど、放射性物質はそうはいかない。

身体から排出されず残った放射性物質が、あらゆる器官に蓄積して、悪魔の毒を放射しつづけるのだから。

2014年2月26日水曜日

放射能汚染で、ぼくたちは手賀沼の豊かな漁場をうしなった

千葉県の北西部に手賀沼という大きな「沼」がある。

その周囲は38キロあり、山手線の34.5キロと比較すると、その大きさが想像できるだろう。

ここはかつて風光明媚な景勝地で、この沼を見下ろす我孫子の高台には志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、中勘助、滝井孝作など、白樺派の文人たちが住んでいた。

現在では夏になると柏市と我孫子市が共催する花火大会があり、沼の周囲には大勢の人たちがつどう。

ぼくの好きな我孫子図書館はこの沼のすぐ畔にあり、そこには犬も入れる大きな公園があって、愛犬が元気なときはよく散歩に連れて来た。

また、この沼はコイ、フナ、ウナギ、エビ、そして名物の佃煮となるモツゴなどが獲れる豊かな漁場だった。

しかし、この沼が人の食用として獲れる魚の漁場だったのは、2011年3月半ばまでだ。

これ以降、この沼で獲れた魚を、ぼくたちはいっさい食することができなくなり、この沼で生計を立てていた漁師たちは、漁に出ることができなくなった。

その理由は、もちろん東電福島第一原発事故による放射能汚染のためだ。

手賀沼が「日本一」で有名だったことがある。

それは「日本一汚い沼」という、あまり名誉な一番ではないが。

大規模な浄化が進み、10年以上前に「日本一」は返上した。

日本一汚い沼で獲れた魚でも食用にすることはできたのだけど、一度の原発事故で、もうこの沼で獲れた魚をぼくたちは食べることができない。

放射能汚染というものが、いかにとてつもなく激しい「汚染」なのかが実感できる。

この沼に漁に出られ、獲れた魚を食べることができるのは、いったいいつの日なんだろう。

数十年先か数百年先、それとも……。

ああ、ぼくたちの世代は、なんて恐ろしいことをしてしまったのだろう。

先祖にも、そして未来に生きる人たちにも……。

きのう25日、安倍政権は原発の再稼働を進めるエネルギー基本計画の政府案を決定した。

(参考資料『朝日新聞』ちば東葛面2014年2月26日朝刊)

 

2014年2月24日月曜日

けさ、寝床でうつらうつらしているとき、ふと気づいた。ブッダは苦と向き合ったから悟ったのだ、ということを。

うつらうつら夢と目覚めのまどろみのなか、なぜか、この世の「苦」ということに思いが及んでいた。

そしてはたと、「そうか、ブッダは苦しみと真っ向から向きあい、取り組んだから大悟することができたんだ」と気づいたのだ。

仏教はこの世を苦の世界と説く。

ちなみに「四苦八苦」は仏教タームで、人のあらゆる苦しみをあらわしたことばである。

ただ、ここでの「苦」は、「人間として逃れられない必然的な苦しみ」とか「思うようにならないこと」という意味だとされる。

ぼくは以前、この「苦の教え」に疑問というか反発をもっていた。

だって、この世って、苦しみばかりじゃないもん、楽しいことだっていっぱいある、と。

この世は苦の世界って言われると、夢も希望もない、救いのない気持ちになったからだ。

でも、ここ数年で、この「苦」にたいする疑問と反発が、すこしずつゆるみはじめている。

それは苦しみのなかで、人間は自分を見つめることができる、ということを知ったからだ。

たとえば、病気で痛みや不快な症状に悩まされているとき、自分がいま生きているという現実感を嫌というほどおぼえる。

まさに「病を得る」なのだ。

まあ、あまりありがたくはないリアリティだけど、苦しみは生きているという実感を得させてくれる。

とはいうものの、苦しみはいいものだとか、苦しめ、苦しむがいい、というものでもない。

あまりの苦しみにたいしては、そういう苦というものを存在させたこの世をうらむし、もし神がこの世を創出させたのなら、なぜここまでの苦しみを神は与えなければならないのか、とも思う。

そしてそう思ういっぽう、苦はありがたいものなのだ、とも。

そういえば、こんなことばを思い出した。

正確ではないけど、「苦しみのない人生にはさとりもない」というもの。

これ、たしか吉福伸逸さんが述べてたよね……。

 

2014年2月22日土曜日

「回答の4割が体調変化」子宮頸がんワクチン副作用、6市が独自調査。厚労省は接種の推奨再開をやめ、ただちに接種の中止を!

子宮頸がんワクチンを接種した人にたいして、神奈川県茅ケ崎市・鎌倉市・大和市、愛知県碧南市、熊本県合志市・玉名市の6市が独自に追跡調査を実施したところ、いずれの市においても4割ほどの人が「副作用あり」と回答した。

このブログでも報告したように、厚労省の検討会は強烈な痛みなど副作用について「科学的知見はない」と否定し、その原因を「心身の反応」とした。

だが、これはあきらかにおかしい。

もし副作用が、検討会が言うところの子宮頸がんワクチンの成分に原因がなく、接種するさいの痛みや恐怖、不安がきっかけとする心理要因なら、それは接種成分を問わない「注射恐怖症」ともいうべきことになる。

だが、これまでの「注射の歴史」のなかで、天文学的な回数が実施されたが、これほどの副作用の報告があっただろうか。

これまでの医療注射にたいして、どれだけの心理的要因による副作用が報告されているか、検討会ならびに厚労省に、その調査データの開示を求めたい。

もし、そんな調査はないとするなら、それこそ「心身の反応」とする「科学的知見」はないということになるだろう。

それにしても、4割もの人が体調の変化を感じたというのは、あきらかにこのワクチンの成分そのものに原因があるとしか考えられない。

なぜ、こんな疑惑のワクチンを厚労省は普及させようとするのか。

この問題、なにかイヤな臭いがぷんぷんする。そう感じるのは、ぼくだけだろうか……。

(参考資料『朝日新聞』2月22日夕刊)

2014年2月20日木曜日

秋場から秋葉へ改名しました。きょうから「秋葉龍一のねごと」です。

筆名を「秋場龍一」から「秋葉龍一」に改めることにしました。
はい、「場」を「葉」に変えただけです。

あまり縁起を担ぐとか、オカルト志向でもないのですが、なんか思い切って自分の在り方を変えたいと思い、ことしから秋葉にしようと決意しました。

秋場は愛着がありますから、それを変えるのは、本人にとっては、けっこうな「決意」なんです。

じつは、もうかれこれ15年ほどまえ、ある九州の占い師から、「秋場」はよくないから「秋葉」にしたほうがいいと薦められていました。

でも、秋葉って、15年前はオタクの聖地秋葉原の「アキバ」であり、最近ではAKBの「アキバ」でもあって、どうも乗り気がしなかったわけです(さっそく口の悪い旧友から「AKB龍一」というメールを頂戴しました)。

それとぼくのなかでは秋場の「場」って、カッコいいんですよ。

いまふと思ったのですが、ペンネームとか芸名とか、本名ではなく自分で好き勝手な名前を付けても社会的にゆるされるって、これモノを書く人間とか、芸人、役者、タレント、芸者、ホステス、ホストなど一部の職業だけではないでしょうか。

会社に入って、自分好みの「社員名」など付けられないですから。

自分で好きな筆名を付けて、その名で呼ばれるって、それなりの快感があります。

親から、本人の承諾もなく、勝手につけられた名でもって、生涯呼びつけられるというのは、理不尽といえば理不尽であります。

ちなみに、むかしの武士などは、幼名があって、諱(いみな)になったり、また何度も名が改まったりしています。

さて、秋場で、この間ずっと通してきたわけですが、なんかずっと「秋葉」にしたほうがいいんじゃないか、という気持ちがありました。

で、昨年の暮れ、このままではまずいという、かなり深刻な事態におちいったとき、ワガツマが「秋葉のほうがいいんじゃない」とのたまったのです。

この深刻な事態を乗り切るのは自分を変えるしかなかったのです。

自分を変えなくちゃと真剣に悩んでいるときですから、まあ「渡りに船」です。

あれほど躊躇していた秋葉という舟にあっさり乗ったというところです。

でですよ、秋葉にしたことし、その深刻な事態を約1か月半で回避できたのです(いや、まだ安心はできませんよ。とりあえずはね)。

ことしに入り、あきらかに運勢が変わりました。それは実感できます。もちろんいい方向です。

ただし、2週間ほど前から強力な耳鳴りに悩まされ、耳鼻科で突発性難聴と診断されたり、先週の金曜からは耳鳴りに片頭痛が加わり、その痛みで夜中に目覚めてしまったり、また頻脈性の不整脈で生まれてはじめて救急搬送されてしまったりと、まあそれなりにいろいろあるわけですが。

きっとこの間の、強烈なストレスでしょうね。

人生「生老病死」、いろいろ苦はめぐってくるものです。

ところで、人間って、「決意」というか「覚悟」っていうのかな、それが本心からできたとき、運勢というか、人生の流れというのはまちがいなく変わりますね。

こんなこと、もっとはやく気づくべきなのでしょうが、でも仕方ないです。

というわけで、「AKB龍一」じゃなくて、「秋葉龍一のねごと」ですから、よろしくお願いします。

2014年2月14日金曜日

「福島第一の護岸、セシウム最高値検出」被害拡大一方の汚染水! ところで、これベタ記事なんだけど……

けさ14日の朝日新聞朝刊の社会面のいちばん下に、「福島第一の護岸セシウム7.6万ベクレル」「地下水で最高値検出」という記事を見つけた。

この書き出しはこうだ。

 
 東京電力は13日、福島第一原発のタービン建屋東側の護岸でくみ上げた地下水から、1リットルあたり7万6千ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。護岸の地下水としては過去最高値となる。(『朝日新聞』2014年2月14日朝刊)

 
これって、もう大変な緊急事態なはずだ。

この検出されたセシウムのほかにも、数種の放射性物質も混じっているだろう。

護岸で検出ということは、海に流出していることはまちがいない。

海洋は波があり、潮の流れがあり、この放射性物質は、やがて太平洋一帯に拡散する。

とうぜん、魚介類やクジラなど海の動物も摂り込む。

事実、すでに、たとえば太平洋沖で漁獲されたマグロから放射性物質が検出されたという情報がある。

このまま、汚染水がとめどなく海洋へ流出すると、ほんとうに日本人だけではなく、世界中の人びとが海で泳いだり、もぐったりすることができなくなり、また海産物を食べることもできなくなるだろう。

これはけっして、過言ではない。根拠のある断固とした事実だ。

そして、こんな超重大な出来事が新聞の片隅(ちなみにロト6当選番号のとなり)、ベタ記事扱いなのである。

このニュース、11年の3.11以前なら、新聞では1面巻頭ぶちぬき見出し、テレビはニュース枠だけでなく、ワイドショーでも大騒ぎしていたことだろう。

そして、世界中のメディアもこれを真っ先に伝えたはずだ。

だって、マジで地球存亡の危機なんだもの。

人は嫌なことは早く忘れたいし、慣れや風化もある。

でも、いくら人の関心がうすくなったとはいえ、この事態をベタで扱っていいわけがない。

ところでこのニュース、朝日以外のマスメディアはどんな扱いなんだろうか……。