2013年9月22日日曜日

スポーツの至高体験はコンセンサスのない真実だけど、多くの人が体験している……


 
『スポーツの至高体験』
著●秋場龍一 
発行●言葉の風
形態●電子版
 

 ――私たちが合理的意識と呼ぶ通常のめざめた意識は、意識のなかの特別な一タイプにすぎない。合理的意識のまわりには薄いスクリーンで隔てられた、それとはまったく異なった意識形態が存在し得る。(ウィリアム・ジェイムズ)

――われわれの日常的自覚は、あまり意味のない一つの島のようなものである。その周囲はいまだ地図のない想像を絶する意識の大洋に囲まれている。 日常的自覚を大洋から隔てる珊瑚礁には、絶え間なく波が打ち寄せる。ところが、 突如として、珊瑚礁を越えた波が、広大な未踏の真の領域、意識の新世界の知識で自覚の島を洪水にすることがある。(ケン・ウィルバー)

 
近現代アメリカの心理学研究において最も信頼されているのが、ウィリアム・ジェイムズとケン・ウィルバーである。
 
上記のふたつのことばは、心理学関係書等でよく見かけるものだ。まあ、有名というか伝説の一節とでも。本書『スポーツの至高体験』でも引用させてもらった。
 
本書はジェイムズの「それとはまったく異なった意識形態が存在し得る」こと、ウィルバーの「意識の新世界の知識で自覚の島を洪水にすることがある」こと、これらの実体験を数多く集め、その意味を問うたものだ。
 
筆者であるぼく自身も、この「洪水」に遭遇している。
 
「スポーツの至高体験」とあるが、別にスポーツでなくても、音楽でも、すべての芸術でも、いやごくいつもの日常の瞬間にも、そして有能なアスリートやアーチストでなくても(現に凡庸な秋場でさえ)、不意に体験してしまうものなのだ。
 
そう、突如として、珊瑚礁を越えた波が、自己の全存在を洪水にしてしまうように。
 
本書は、いまだ一般には「コンセンサスのない真実」を述べた。なんて、ちょっと見えを切ってしまった。

 

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