2012年3月8日木曜日

4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある

【ただちに危険だ! 原発通信】№44

2012.3.11「100万人デモ」でただちに全原発廃炉だ!

「一生是風前之燭、万事皆春夜之夢」(往生講式、1079)

風の吹きあたるところにあるともしび。ああ、ものごとははかなく、もろい――。危険に直面した生命の今にも絶えようとすることのたとえである。ぼくはいま、この句にしみじみ感じ入る。

まさにぼくたちは、福島第一原発4号機のヒビを前にして、風前のともしび状態にある。4号機の使用済み燃料プールには1538本の燃料集合体、180万テラベクレルの放射能、ヒロシマ原爆の4000発分、その核種をセシウムだけに限定してもチェルノブイリ原発事故の8倍の量だ。

そしてその燃料プールは4号機(下・写真)の5階にある。爆発してぼろぼろになった、もう誰が見ても崩壊寸前の建屋のなかだ。これが地震のひとつで、倒壊、いや燃料プールにヒビが入れば、日本は終わる。ぼくたちはハリウッドのスペクタクル映画を観ているのではない。そう字義どおりの実存的な破局である。



そして人びとは、そのフクシマを風上とする風のゆくえに右往左往するだろう。そりゃそうだ。気ままな風の流れがおのれの生死を左右するのだから。これぞまさしく「風前のともしび」だろう。

ところで、ぼくたちはすでに去年の3月下旬に終わっていたかもしれない。ぼくたちは運命の「幸運ないたずら」で、なんとかかろうじて、この列島に住むことができている。

けさ(3月8日)の朝日新聞朝刊を読まれただろうか。その大見出しはこうある。「工事不手際 4号機救う」(デジタル版では「4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発」)

この記事を要約すると、4号機では一昨年11月から炉内の大型構造物の取り換え工事をしており、一時的に原子炉真上にある原子炉ウェルに水を張っていた。そして去年の3月7日には水を抜く予定だったが、工事の不手際で3月11日まで水を張ったままにしておいた。そして、あの3.11の地震と津波で、燃料プールの水を冷却できない事態におちいる。ところがその工事の不手際で張っていたウェルの水が偶然にも燃料貯蔵プールに流れ込んだため、核燃料の過熱を防ぐことができたのだ。この経緯を朝日新聞は次のように綴っている。



4号機の使用済み核燃料プールは津波で電源が失われ、冷やせない事態に陥った。プールの水は燃料の崩壊熱で蒸発していた。

 水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。

 しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。

 東電は、この水の流れ込みがなく、放水もなかった場合、3月下旬に燃料の外気露出が始まると計算していた。(「朝日新聞」3月8日朝刊)



「燃料の外気露出」は「人類史上最悪の事態」つまり「破局」と等式で結ばれる。まさにぼくたちの運命は「風前のともしび」だったのである。「幸運ないたずら」によって、破局から救われたのだ。

さて、この「幸運ないたずら」をどうみるか。ぼくは大いなるものが、ぼくたちに与えた「考え直す時間」「悔い改める猶予」とみる。ヒトがヒトによってコントロールできないことに手を染めたことから手を引くのか、それともそのままつづけるのか、という選択の時間、猶予だとぼくはみるのだ。

パンドラの箱を開けてしまったぼくたちだけど、いま考え直し、悔い改めれば、破局にならずにしてやるというのが「幸運ないたずら」のメッセージである。それがぼくにとっての「希望」でもある。そしてぼくは「幸運ないたずら」に感謝し、破局が起こらないことを祈り、今度の日曜日(11日)にデモと集会と人間の鎖(国会を取り囲む)に参加する。


1 件のコメント:

高杉仁之 さんのコメント...

その通りであると思います。