地震、津波、そして原発事故があって、もう10日たちます。
この間、被害はどんどん膨れ上がり、原発の状態も依然として予断をゆるしません。
そして、この間、原発事故による放射性物質の環境への散乱で、予想された恐れていたことが次々と現実となっています。
それはたとえば、原乳やほうれん草、かき菜、春菊、それに水道水などの「食」への汚染です。
例によってテレビに出てくる「専門家」はこう言います。
「これくらいの量なら、健康被害は心配ない」と。
それなら、訊きたいのですが、なぜ基準値なるものが設けてあるのでしょうか。
これはあきらかに危険であるから、その目安としてのハードルを「基準値」として設定したわけで、まったく危険が皆無であるなら、こんな基準値を設けるなどしなかったわけです。
そもそも、テレビに登場する原子力関係(一部放射線関係も含む)の専門家は原発推進派であったわけで、こういう人たちのいうがままに原発がこの地震列島に55基(おまけにまだ足りないのか建設、計画含めてさらに14基を増やそうとしている)も造ったあげくが、今回のこの福島原発事故なのではないでしょうか。
この「専門家」たちは、原発の危険性を指摘する声に、絶対にスリーマイルやチェルノブイリ原発のような事故は起こらないと断言していました。そして、いともあっけなく、「起こるはずのない事故」は起こってしまったのです。
ですから、こんな「専門家」たちの言葉を頭っから信用してはいけないのです。
筆者は直接そのテレビを視ていなかったですが、視ていた妻が言うには、今回の食品や水道水の放射能汚染について、「専門家」が心配はいらないと語り、そのすぐあと司会者からの「赤ん坊の粉ミルクにこの水道水をつかっても大丈夫ですか?」という趣旨の質問があり、その「専門家」は「ミネラル水をつかうように」と答えたというのです。
どうでしょうか。この答えで馬脚をあらわしたと思いませんか。
さすが、この「専門家」も良心の痛みをおぼえたのかもしれません。この質疑応答を聞いて、水道水が危険である、とだれもが思うのではないでしょうか。
もう何回も言ってますが、ほんとうに大切なことなので繰り返します。
大人もそうですが、とりわけ子供(妊婦)を放射線から守らなくてはなりません。
すこしでも、危険であると思われる行為は可能なかぎり避けるべきです。
とくに子供にたいしては厳重に注意するべきです。
たとえば、放射線障害による甲状腺がんに関して、成長期の子供は大人の100倍もの影響がある(明確な根拠があります)と指摘されています。遺伝子は放射線に傷つきやすく、とりわけ成長期の子供の遺伝子は多大な影響があるのです。
日常の放射線以上の数値が検出された地域に住まれる成長期の子供(妊婦)をもつご家庭は、ぜひその地域から脱出してください。
折から雨模様です。ご承知だと思いますが、絶対に雨に素肌を打たれてなりません。
2011年3月21日月曜日
2011年3月17日木曜日
福島原発事故に関して№4
放射性物質から子供を徹底的に守ろう。
外出時は「風向き」を調べてから。
依然として予断を許さない状況がつづいている福島原発です。
新聞やテレビなどで、放射性物質が飛散していること、放射線の人体への影響などが報じられた影響か、ここ千葉県柏市の住宅街でも、外の道を歩く人や車の通行がかなり減ったようです。
ここで気になるのは、「放射線の人体への影響」についての報道です。
おおむね、テレビは楽観的で、新聞(朝日新聞ですが)は常識的な危険性を指摘しているように思えます。
テレビでは大学の放射線専門家と称する人が放射線の人体への影響について解説していましたが、筆者の観た範囲では、そのほとんどが「楽観的すぎる」と憤りを覚えたほどです。
必要以上に危険性を煽ることは過剰に不安感を高めパニックをまねくなど厳に慎むべきですが、このような超楽観論は無神経に危険な場に身をさらすことになりかねません。
放射線の影響について、「ただちに健康被害はない」とか「すぐに人体への障害は起きない」とテレビでコメントしていますが、「ただちにはない」あるいは「すぐには起きない」のであって、時間が経過すれば「ない」と保証しているわけではないのです。
あの言っておきますが、放射線障害で「ただちに」「すぐに」起きたら、生命の維持はかなり困難なほどの障害となります。放射線障害でやっかいなのは、数日あるいは数年以上たってから症状としてあらわれてくることです。
放射線はたとえ自然放射線であっても過剰にあびることは人体に影響がでる恐れがあり、まして15日に関東地方で検出された通常の数倍から数百倍の放射線をあびることは、それだけ将来の健康障害へのリスクが高まると考えてください。
また、胃のX線検査やX線CTなどと、事故で出た放射線量が比較されます。こういうグラフなどをみると、事故で出た放射線が、医療検査で受ける放射線量よりも低いので安全と思ってしまうかもしれません。しかし、胃のX線による予防検査(健康診断)はヨーロッパなどでは胃がんリスクが逆に高まるなどとして行われていないはずです。またCT検査による発がんリスクは相当高いものであることも専門家から指摘されています。放射線は微量であっても、細胞の遺伝子レベルでじわりじわり破壊や構造変化が起きるのです。
そして、もう何度も言ってますが、乳幼児など成長期の子供はヨウ素131(放射性物質)が甲状腺にたまりやすいなど、放射線の影響を大人よりも受けやすいので細心の注意が必要です。
日本のような危険極まりない「原発社会」をつくりだしたのは、私たち大人です。子供たちにはなんの責任もありません。このいまある危険から、徹底的に子供たちを守らなくてはなりません。
テレビなどでも「風向き」が多く報道されるようになりました。
これは風下の地域の住民は注意をするようにというメッセージがこめられています。
こういう状況のなかでは、外出は徹底的にひかえることが大切ですが、
もし外出するなら風向きを調べて福島原発の風下ではないか確認してから出かけるようにしましょう。インターネットで「アメダスの風向き情報」http://weather.goo.ne.jp/amedas/wind.htmlが常時報告されていますので、ぜひこれを参考にしてください。
それから絶対にマスクをお忘れなく。放射性物資を吸うと内部被ばくし、これは皮膚にあびる外部被ばくよりも危険性が高いからです。
柏市では放射線の測定を行っていないようです。千葉県北西部の方がネットでご自分の放射線測定器で観測状況を公開されています。筆者のやりたかったことをやっていただいて、ありがたいかぎりです。
外出時は「風向き」を調べてから。
依然として予断を許さない状況がつづいている福島原発です。
新聞やテレビなどで、放射性物質が飛散していること、放射線の人体への影響などが報じられた影響か、ここ千葉県柏市の住宅街でも、外の道を歩く人や車の通行がかなり減ったようです。
ここで気になるのは、「放射線の人体への影響」についての報道です。
おおむね、テレビは楽観的で、新聞(朝日新聞ですが)は常識的な危険性を指摘しているように思えます。
テレビでは大学の放射線専門家と称する人が放射線の人体への影響について解説していましたが、筆者の観た範囲では、そのほとんどが「楽観的すぎる」と憤りを覚えたほどです。
必要以上に危険性を煽ることは過剰に不安感を高めパニックをまねくなど厳に慎むべきですが、このような超楽観論は無神経に危険な場に身をさらすことになりかねません。
放射線の影響について、「ただちに健康被害はない」とか「すぐに人体への障害は起きない」とテレビでコメントしていますが、「ただちにはない」あるいは「すぐには起きない」のであって、時間が経過すれば「ない」と保証しているわけではないのです。
あの言っておきますが、放射線障害で「ただちに」「すぐに」起きたら、生命の維持はかなり困難なほどの障害となります。放射線障害でやっかいなのは、数日あるいは数年以上たってから症状としてあらわれてくることです。
放射線はたとえ自然放射線であっても過剰にあびることは人体に影響がでる恐れがあり、まして15日に関東地方で検出された通常の数倍から数百倍の放射線をあびることは、それだけ将来の健康障害へのリスクが高まると考えてください。
また、胃のX線検査やX線CTなどと、事故で出た放射線量が比較されます。こういうグラフなどをみると、事故で出た放射線が、医療検査で受ける放射線量よりも低いので安全と思ってしまうかもしれません。しかし、胃のX線による予防検査(健康診断)はヨーロッパなどでは胃がんリスクが逆に高まるなどとして行われていないはずです。またCT検査による発がんリスクは相当高いものであることも専門家から指摘されています。放射線は微量であっても、細胞の遺伝子レベルでじわりじわり破壊や構造変化が起きるのです。
そして、もう何度も言ってますが、乳幼児など成長期の子供はヨウ素131(放射性物質)が甲状腺にたまりやすいなど、放射線の影響を大人よりも受けやすいので細心の注意が必要です。
日本のような危険極まりない「原発社会」をつくりだしたのは、私たち大人です。子供たちにはなんの責任もありません。このいまある危険から、徹底的に子供たちを守らなくてはなりません。
テレビなどでも「風向き」が多く報道されるようになりました。
これは風下の地域の住民は注意をするようにというメッセージがこめられています。
こういう状況のなかでは、外出は徹底的にひかえることが大切ですが、
もし外出するなら風向きを調べて福島原発の風下ではないか確認してから出かけるようにしましょう。インターネットで「アメダスの風向き情報」http://weather.goo.ne.jp/amedas/wind.htmlが常時報告されていますので、ぜひこれを参考にしてください。
それから絶対にマスクをお忘れなく。放射性物資を吸うと内部被ばくし、これは皮膚にあびる外部被ばくよりも危険性が高いからです。
柏市では放射線の測定を行っていないようです。千葉県北西部の方がネットでご自分の放射線測定器で観測状況を公開されています。筆者のやりたかったことをやっていただいて、ありがたいかぎりです。
2011年3月15日火曜日
福島原発事故に関して№3
4日前に通販で発注した携帯型の放射線測定器は、きょうになって完売で在庫なしという販売元からのメールがきました。
注文するのが、一足遅かったようです。
まあ、原発や放射性物質のことをすこしなりとも知識のある者であれば、自分の周囲の放射線量を知りたいものですから。
この放射線量の測定は各自治体でも実施しているようですから、地元の役所へ尋ねれば教えてくれるかもしれません。
きょうは風向きで関東周辺に数十倍から数百倍の福島原発からとみられる放射性物質が降ったようです。
専門家はこれくらいの量なら健康に被害はないといっていますが、かならずその「被害はない」というその言葉の前に「たちまちには」というような言葉が入っていることを見逃すべきではありません。
微量であっても、自然にはない人工的な放射線をあびることは中長期的にはけっして安心できないことなのです。
№2で、福島原発周辺の子供たちをまず遠くへ避難させようと書きましたが、きょうテレビを観ていると千葉県松戸市が避難された人に宿舎を提供したようです。このように、どんどん多くの自治体が被災者をたすければいいのではないでしょうか。
ひとつお願いしたいのですが、赤ん坊や幼児を福島原発周辺の地域に住む方は家の外へ出さないようにしていただけないでしょうか。若い命ほど、放射線の影響をうけるのですから。心からお願いします。
注文するのが、一足遅かったようです。
まあ、原発や放射性物質のことをすこしなりとも知識のある者であれば、自分の周囲の放射線量を知りたいものですから。
この放射線量の測定は各自治体でも実施しているようですから、地元の役所へ尋ねれば教えてくれるかもしれません。
きょうは風向きで関東周辺に数十倍から数百倍の福島原発からとみられる放射性物質が降ったようです。
専門家はこれくらいの量なら健康に被害はないといっていますが、かならずその「被害はない」というその言葉の前に「たちまちには」というような言葉が入っていることを見逃すべきではありません。
微量であっても、自然にはない人工的な放射線をあびることは中長期的にはけっして安心できないことなのです。
№2で、福島原発周辺の子供たちをまず遠くへ避難させようと書きましたが、きょうテレビを観ていると千葉県松戸市が避難された人に宿舎を提供したようです。このように、どんどん多くの自治体が被災者をたすければいいのではないでしょうか。
ひとつお願いしたいのですが、赤ん坊や幼児を福島原発周辺の地域に住む方は家の外へ出さないようにしていただけないでしょうか。若い命ほど、放射線の影響をうけるのですから。心からお願いします。
2011年3月14日月曜日
福島原発事故に関して№2
まず子供を原発周辺から避難させませんか
昨日このブログを発信したところ、数名の方から情報が寄せられました。ありがとうございます。
福島原発の状況や原発の危険性について、こういう状況下であまり声高にさけぶといらぬ不安を煽ることになりかねないので、慎重に述べていきたい思います。
それでも、ある程度の危険性については指摘したほうが有用だと判断したことは述べたいと思います。
わたしの周辺の方に今回の原発事故についてすこし触れてみると、それほど大きな危機感をもっていない印象をうけました。
それは楽観的というより、原発の本当の姿を知らないのです。
まあ、それはそれで仕方ないのですが、あまりに不注意なばかりにいらぬ危険に身をさらすことになりかねまぜん。
今回はとくにお子さんをお持ちの方にメッセージを送りたいと思います。
私の家庭には小さい子供はおりませんが、もしいると仮定して、私ならこういうようにやります。
1.子供は絶対に外に出さない。大人もむやみに外へ出ない。
2.もちろん、幼稚園や保育所、小学校にも行かせない。
3.もし外出しなければならないときは、子供はもちろん親や家族もできるだけ衣服で身を防護し、帽子、マスク、ゴーグルをつけること。
4.そして帰宅したときは、その身に付けたものを安全な場所に隔離するか、すぐに洗いながす。
5.すぐに口をすすぎ、うがいをし、全身を石鹸で洗い落す。
ほんとうは、可能なかぎり福島原発から遠くへ避難することがいちばんなのですが、いまの状況下ではなかなかできるものではありませんので、せめて上記のことをやっていただければとお願いします。
それから可能であれば、小さな子供だけでも福島原発周辺から避難させてはどうでしょうか。移動は自衛隊や警察などの政府機関がおこない、子供を預かる公共的な場所に限度があれば、いわゆるホームステイのように民間の家庭で一定期間を預かるのです。
これなら、いまボランティアに行けない人も自宅で被害にあっている人たちのお役に立てるのではと思うのですが。いかがでしょうか。
2011年3月13日日曜日
福島原発事故に関して№1
しばらくこのブログを休んでおりましたが、こんな内容で再開することになるとは……。
まずは東北地方太平洋沖地震により被害を受けられましたみなさまに心からお見舞い申し上げます。
報道されておりますように福島原子力発電所は危機的状況に瀕しており予断をゆるさない状態がつづいています。私はかねがね原発の危険性を憂慮しており、原発についてはそれなりの知識をもっております。
テレビ報道をみていますと、「万が一の事態に備えて」という常套句があって、原発周辺住民の「3キロ圏外への避難」その後、10キロになり、いま20キロと避難距離が広がっています。そして、「万が一の事態に備えて」いたはずが、避難住民のなかに被曝した人が100人以上出たとの報道がありました。福島原発周辺にどの程度の放射線量があるのか見当がつきませんが、かなりの量であることは間違いないところです。
私は千葉県柏市に在住していますが、このあたりの放射線量が気になって、本日(13日午後)に個人用の携帯放射線測定器を通販で買いました。自分自身はもちろん、家族やこの地域の住民のみなさん、それに関東在住の知人に放射線を測定して、状況を知らせようと思ってのことです。
通販で購買したので、到着するまで数日かかることであり、ふと思い立って、東京電力に柏市の放射線の測定値を電話で訊くことにしました。
まず、柏支店(営業所?)の東電の電話受付に出た女性(正社員とか)に柏市の放射線量をたずねると、「おまちください」とのことで、しばらくして「柏市では測定していません」との返答。絶句したのですが、では千葉県ならびに東京都の測定値を知りたいというと、また「おまちください」と言って、しばらくして「測定していません」という言葉が返ってきました。本当に測定してないかどうか真相はわかりませんが、もし本当に測定していないとなれば、東電はなんと無責任な会社なのでしょうか。いまの放射線の状況を地域住民に知らせる社会的な責務はあるはずです。こんな会社が原子力あるいは核物質という極めて危険性の高いものを扱っていたのです。
私が買い求めた線量計(測定器)は28000円程度のものです。それすら東電の千葉支店はおろか本社も持っていない、と言うのです。
東電の柏支店の受付に出た社員の対応はそれなりに真摯でしたので、私は線量計を東電の各ブランチに常備して、住民の要望があれば測定値を知らせるように上司に伝えてくれと申して、きわめて穏やかに電話を切りました。
つぎに私は東電本社に電話をして、さきほどの柏支店と同じ質問をしました。受付に出たのは男性社員でした。電話ですので、どんな表情、態度で接しているかわかりませんが、電話で話す声の雰囲気はきわめて感じが悪く、さも悪質クレイマーへの対応という、事務的な対応をするのです。この福島原発の事故は人類史的な未曾有の事故に発展する可能性があり、いま現在(3月13日16時過ぎ)において100人以上の住民が被曝し、また周辺へ大量の放射線を撒き散らして環境汚染をしているその真只中だというのに、この東電の社員から受ける印象は口先だけの、まったく心がこもっていないものでした。そして、その私の問い合わせへの返答は「測定していない」というものでした。
私はなぜ、こんな危険性の極めて高い原子力発電所をつくり、またしかもそれを地震が頻発するこの日本列島に建てるという行為がなぜできるのか、ふしぎでなりませんでした。そして、いつかこのような事態に遭遇すると「想定」していました。原発の危険性を指摘する声に、電力会社や日本政府、原発推進の学者、専門家、識者は、みな「日本の優秀な技術力では、スリーマイル島やチェルノブイリ等原発の事故は起こらない」と断言していました。そして、きまってもし最悪の事態になっても、緊急炉心冷却装置(ECCS)があるので大丈夫だと、も。
ところがどうでしょう。その最後の頼みの命綱である緊急炉心冷却装置が電源が故障して作動しないというのです。いとも簡単に、命綱は切れてしまったのです。しかも電力会社が電源を確保できないありさまです。これは人類最後のブラックジョークになるかもしれません。
また、政府は福島原発避難住民にヨードを配給する準備があると伝えられていますが、周辺住民だけではなく、この列島に住む人たち、せめて子供たちには飲ませたほうがいいと思います。そして、子供たちはできるだけ福島原発から離れた地域へ疎開されることをお勧めします。チェルノブイリの事例をみるまでもなく、子供たちが放射線被害の影響をモロに受けるからです。
さらに、お願いしますから、せめて太平洋岸にある原発は稼働を速やかに停止してください。今回の東北地方太平洋沖地震に触発されて、東海大地震等が起きる可能性が指摘されています。その危険性がなくなるまで、停止させることぐらいはできるでしょう。あすから電力を確保するために輪番制で1日3時間程度の地域を指定した停電をするか東電は検討しているそうですが、いいですよ。それくらいの停電はがまんします。原発の稼働をとめるのなら。
おっと、いまある筋からの情報がありました。
本日中に関東地方の電力の余力がなくなるそうで、あす以降、関東以外の中国地方等から電力供給を受けることになるそうです。
まだまだ、書きたいことは山のようにありますが、きょうのところはこのへんで。
追って、この福島原発事故に関する情報をこのブログで発信します。
2010年12月5日日曜日
勝利ははかないものである
本日の金言……5
『シカゴ・ブルズ 勝利への意識革命』
フィル・ジャクソン、ヒュー・ディールハンティー著、中尾真子訳、PHP研究所、1997
……どんな犠牲を払っても勝つということには魅力を感じなかった。優勝チーム、ニューヨーク・ニックスのメンバーだった時代から、私はすでに、勝利ははかないものであることを学んでいた。そう、確かに勝利は、甘美なものである。けれども、勝ったからと言って、次のシーズンの生活が楽になるわけでもないし、翌日の生活でさえ、楽になるものでもない。歓声をあげる群衆が去り、シャンペンの最後のボトルを飲み干した後は、また戦場に戻って、全てを最初からやり直さなければならない。
人生におけるのと同様、バスケットボールにおいても、真の喜びは、物事がうまくいっている時だけではなく、あらゆる瞬間に、自分が完全に存在することに由来する。勝ち負けにこだわるのをやめて、一瞬一瞬の出来事に注意を集中させれば、物事はえてしてうまく運ぶものだ。(p14)
私は、リラックスしつつ、油断しないでいられるように訓練しようと、視覚化の練習を始めた。ゲーム前、十五分か二十分、スタジアムの人目につかない場所……で静かに座って、これから起ころうとしていることを頭の中で動画として思い描いた。
……
要は、うまい動きのイメージを視覚的な記憶の中にコード化し、ゲーム中に似たような状況になったら、デジャビュ(既視感)のように思えるようにするのだ。(p56)
著者のフィル・ジャクソンはアメリカ・プロバスケットNBAの名選手・名コーチとして活躍した。
プロ、アマチュアにかぎらず、スポーツのトッププレーヤーとして生きていくということは、心身ともかなりエネルギッシュな凝縮力が必要とされる。そのような現場で生きてきた人間の言葉の中には、人生のエッセンスをぎゅっとつかみ取るような珠玉のフレーズを見つけることができる。本書にもそれが随所に見えるのだ。
「私はすでに、勝利ははかないものであることを学んでいた」という言葉は、スポーツプレーヤーからあまり聞かれないけれど、実はそのことを意識的無意識的にスポーツプレーヤーは学んでいるというか、知っているはずだ。「勝利」とはたしかに「甘美」であるけれども、同時に「はかないもの」であることを。
「勝利」とは「結果」であり、結果だけを追い求めているかぎり、それは苦闘でしかなく、またたとえ勝利を得たとしても「甘美」のすぐあとには「はかなさ」がのこるだけなのだ。
では、どうすればよいのか? 著者は答えをすぐに明示してくれる。その答えとは、「……それは真の喜びは、物事がうまくいっている時だけではなく、あらゆる瞬間に、自分が完全に存在することに由来する」である。「あらゆる瞬間」というのは、プロセスというか「この今現在」ということだ。
勝利とは結果であり、結果を求めることは未来を指向することになる。そしてたとえ自分が望んだ結果を得たとしても、それは過去のことであり、はかないものとなる。つまり「真の喜び」とは未来や過去にあるのではなく、いまこの現在にある、ということだ。
たとえば試合中、勝利という結果にこだわると満足なプレーができなくなるものだ。なぜなら、試合中という現在にあって、結果にこだわるという未来に意識が向かうからだ。つまり、スポーツマンがよく口にする「集中」できないからである。そして精神状態は身体の動きに直結して、思わぬミスにつながる。
この「結果」と「現在」、あるいは「結果」と「プロセス」という関係性は、人生を渡っていくうえでのキーポイントである。これは、どんな人のどんな人生であっても普遍性がある。とりわけ、いま「就活」に苦しむ学生たちに、偏差値のために学校や塾に通うこどもたちに、この関係性を知ってもらいたい。
また「視覚化」は、だれにだってできるものだ。アスリートにかぎった話ではない。視覚化とは「夢」→「想像」→「創造」→「計画」→「行動」→「具現化」という流れの前提というか補償のようなはたらきがある。視覚化する行為とは、自分独自のナビゲーションを装着することであり、共時性を生むことの発端となり、よってそれはふさわしく収斂してゆくだろう。
2010年11月25日木曜日
黄海の小さな島に砲撃するまえに
本日の金言……4
『国境の南、太陽の西』
村上春樹著、講談社、1992
「まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない 。九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う」
この言葉は村上春樹自身が自己の小説家としてのポリシーを語っているのではないだろうか。だが、この至高体験は芸術家だけが体験するものでは、もちろんない。
「至高体験」とは一般的には、宗教的な術語としてカテゴライズされることが多いけれど、実はごく市井のオーディナリー・ピープルにも、いつなんどき体験するかもしれない可能性を秘めたものだ。事実、このぼくだって、そうなのだから。
その体験する頻度というか確率からいうと、それはスポーツのさなかが圧倒的だ。そしてそれをノンフィクションとして構成したのが、ぼくの『スポーツのピークエクスペリエンス』である。
おそらく、この体験をある一定数の人が味わったとき、世界は根底から変わるだろう。もちろん、黄海上で大砲の撃ち合いなんて愚かなことなんてありえない。
至高体験とは、この宇宙の森羅万象の一切合財が、「無境界」であり、「一なるもの」であるということを感得することなのだから。
ところで、この小説に登場する謎を秘めた女性「島本さん」って、ユング心理学でいう「アニマ」というアーキタイプなのかな。
ハジメをめぐる島本さんと有紀子の関係性を止揚(とりあえず、ぼくの語彙からはこの熟語しか思い浮かばない)できたとき、人類史にあらたなページが挿入されるのではないだろうか。
「まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない 。九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う」
この言葉は村上春樹自身が自己の小説家としてのポリシーを語っているのではないだろうか。だが、この至高体験は芸術家だけが体験するものでは、もちろんない。
「至高体験」とは一般的には、宗教的な術語としてカテゴライズされることが多いけれど、実はごく市井のオーディナリー・ピープルにも、いつなんどき体験するかもしれない可能性を秘めたものだ。事実、このぼくだって、そうなのだから。
その体験する頻度というか確率からいうと、それはスポーツのさなかが圧倒的だ。そしてそれをノンフィクションとして構成したのが、ぼくの『スポーツのピークエクスペリエンス』である。
おそらく、この体験をある一定数の人が味わったとき、世界は根底から変わるだろう。もちろん、黄海上で大砲の撃ち合いなんて愚かなことなんてありえない。
至高体験とは、この宇宙の森羅万象の一切合財が、「無境界」であり、「一なるもの」であるということを感得することなのだから。
ところで、この小説に登場する謎を秘めた女性「島本さん」って、ユング心理学でいう「アニマ」というアーキタイプなのかな。
ハジメをめぐる島本さんと有紀子の関係性を止揚(とりあえず、ぼくの語彙からはこの熟語しか思い浮かばない)できたとき、人類史にあらたなページが挿入されるのではないだろうか。
登録:
投稿 (Atom)