2010年12月5日日曜日

勝利ははかないものである

本日の金言……5
『シカゴ・ブルズ 勝利への意識革命』
フィル・ジャクソン、ヒュー・ディールハンティー著、中尾真子訳、PHP研究所、1997

……どんな犠牲を払っても勝つということには魅力を感じなかった。優勝チーム、ニューヨーク・ニックスのメンバーだった時代から、私はすでに、勝利ははかないものであることを学んでいた。そう、確かに勝利は、甘美なものである。けれども、勝ったからと言って、次のシーズンの生活が楽になるわけでもないし、翌日の生活でさえ、楽になるものでもない。歓声をあげる群衆が去り、シャンペンの最後のボトルを飲み干した後は、また戦場に戻って、全てを最初からやり直さなければならない。
 人生におけるのと同様、バスケットボールにおいても、真の喜びは、物事がうまくいっている時だけではなく、あらゆる瞬間に、自分が完全に存在することに由来する。勝ち負けにこだわるのをやめて、一瞬一瞬の出来事に注意を集中させれば、物事はえてしてうまく運ぶものだ。(p14


 私は、リラックスしつつ、油断しないでいられるように訓練しようと、視覚化の練習を始めた。ゲーム前、十五分か二十分、スタジアムの人目につかない場所……で静かに座って、これから起ころうとしていることを頭の中で動画として思い描いた。
……
要は、うまい動きのイメージを視覚的な記憶の中にコード化し、ゲーム中に似たような状況になったら、デジャビュ(既視感)のように思えるようにするのだ。(p56)


著者のフィル・ジャクソンはアメリカ・プロバスケットNBAの名選手・名コーチとして活躍した。

プロ、アマチュアにかぎらず、スポーツのトッププレーヤーとして生きていくということは、心身ともかなりエネルギッシュな凝縮力が必要とされる。そのような現場で生きてきた人間の言葉の中には、人生のエッセンスをぎゅっとつかみ取るような珠玉のフレーズを見つけることができる。本書にもそれが随所に見えるのだ。

「私はすでに、勝利ははかないものであることを学んでいた」という言葉は、スポーツプレーヤーからあまり聞かれないけれど、実はそのことを意識的無意識的にスポーツプレーヤーは学んでいるというか、知っているはずだ。「勝利」とはたしかに「甘美」であるけれども、同時に「はかないもの」であることを。
「勝利」とは「結果」であり、結果だけを追い求めているかぎり、それは苦闘でしかなく、またたとえ勝利を得たとしても「甘美」のすぐあとには「はかなさ」がのこるだけなのだ。

では、どうすればよいのか? 著者は答えをすぐに明示してくれる。その答えとは、「……それは真の喜びは、物事がうまくいっている時だけではなく、あらゆる瞬間に、自分が完全に存在することに由来する」である。「あらゆる瞬間」というのは、プロセスというか「この今現在」ということだ。

勝利とは結果であり、結果を求めることは未来を指向することになる。そしてたとえ自分が望んだ結果を得たとしても、それは過去のことであり、はかないものとなる。つまり「真の喜び」とは未来や過去にあるのではなく、いまこの現在にある、ということだ。

たとえば試合中、勝利という結果にこだわると満足なプレーができなくなるものだ。なぜなら、試合中という現在にあって、結果にこだわるという未来に意識が向かうからだ。つまり、スポーツマンがよく口にする「集中」できないからである。そして精神状態は身体の動きに直結して、思わぬミスにつながる。

この「結果」と「現在」、あるいは「結果」と「プロセス」という関係性は、人生を渡っていくうえでのキーポイントである。これは、どんな人のどんな人生であっても普遍性がある。とりわけ、いま「就活」に苦しむ学生たちに、偏差値のために学校や塾に通うこどもたちに、この関係性を知ってもらいたい。

また「視覚化」は、だれにだってできるものだ。アスリートにかぎった話ではない。視覚化とは「夢」→「想像」→「創造」→「計画」→「行動」→「具現化」という流れの前提というか補償のようなはたらきがある。視覚化する行為とは、自分独自のナビゲーションを装着することであり、共時性を生むことの発端となり、よってそれはふさわしく収斂してゆくだろう。









2010年11月25日木曜日

黄海の小さな島に砲撃するまえに

本日の金言……4
『国境の南、太陽の西』
村上春樹著、講談社、1992

「まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない 。九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う」


 この言葉は村上春樹自身が自己の小説家としてのポリシーを語っているのではないだろうか。だが、この至高体験は芸術家だけが体験するものでは、もちろんない。
「至高体験」とは一般的には、宗教的な術語としてカテゴライズされることが多いけれど、実はごく市井のオーディナリー・ピープルにも、いつなんどき体験するかもしれない可能性を秘めたものだ。事実、このぼくだって、そうなのだから。
その体験する頻度というか確率からいうと、それはスポーツのさなかが圧倒的だ。そしてそれをノンフィクションとして構成したのが、ぼくの『スポーツのピークエクスペリエンス』である。
おそらく、この体験をある一定数の人が味わったとき、世界は根底から変わるだろう。もちろん、黄海上で大砲の撃ち合いなんて愚かなことなんてありえない。
至高体験とは、この宇宙の森羅万象の一切合財が、「無境界」であり、「一なるもの」であるということを感得することなのだから。

ところで、この小説に登場する謎を秘めた女性「島本さん」って、ユング心理学でいう「アニマ」というアーキタイプなのかな。
ハジメをめぐる島本さんと有紀子の関係性を止揚(とりあえず、ぼくの語彙からはこの熟語しか思い浮かばない)できたとき、人類史にあらたなページが挿入されるのではないだろうか。

2010年10月31日日曜日

ピークエクスペリエンスと無境界

本日の金言……3

『無境界』
ケン・ウィルバー著、吉福伸逸訳、平河出版社、1986

われわれの日常的自覚は、あまり意味のない一つの島のようなものである。その周囲はいまだ地図のない想像を絶する意識の大洋に囲まれている。日常的自覚を大洋から隔てる珊瑚礁には、絶え間なく波が打ち寄せる。ところが、突如として、珊瑚礁を越えた波が、広大な未踏の真の領域、意識の新世界の知識で自覚の島を洪水にすることがある。(p012

 このケン・ウィルバーの言葉は美しく、深く、そして神秘的だ。しかし、この意識の「洪水」は、いつ、だれに、どこで、どのように浸されるのか、検討はつきにくいのだけれど、しかしその可能性はいつだって秘めている。そう、現に、このぼくにさえ。
 ぼくは中学2年の部活卓球の特訓のときに「ピークエクスペリエンス」という、すべてが「一つ」であるという、いわゆる合一体験をした。相手バックサイドを強烈に切り裂く強打を放った瞬間、自分と周囲のものは一つであるということを感得するとともに、14歳のその日まで味わったことのないエクスタシーに包まれたのだ。
 ピークエクスペリエンスは「ゾーン」とか「フロー」と呼ばれる体験と似ており、その味わいかたは人によって違うけれど、「日常的自覚を越える洪水の波」と共有化される体験だ。
 ピークエクスペリエンスなど、日常的自覚を越えた「珊瑚礁を越えた波」について、これからおいおい述べていきたいと思っている。

2010年10月30日土曜日

ユングの臨死体験と輪廻

本日の金言……2
『ユング自伝2
.ヤッフェ編、河合隼雄、藤縄昭、出井淑子(共訳)みすず書房、1973

私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものもいくつかはあった。それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそれらそのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事からなり立っていることを強く感じた。これこそが私なのだ。「私は存在したもの、成就したものの束である。」(p126

 この一節はユングが70歳を前にして「危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまった」ときに見た「幻像(ヴィジョン)」のなかの一部である。
 この本は表題のとおりユングの自伝である。ぼくがいままで読んだ本のなかでベスト5に入る珠玉の一冊だ。とりわけこの「幻像(ヴィジョン)」の章は、ユングほどの真龍でないと述べることが到底できない深みがある。 
この章はつまり「臨死体験」を綴ったものだ。もし、実存的にしろ、想像的にしろ、いま「死」というものに苛まれているのなら、ぜひお薦めしたいものだ。まあ、意識しようと無意識であろうと、「死」は常に人間に取り付いているものだから、万人にお薦めすることになろうかと。
ユングは幻像体験を経て生還する。そして「人生と全世界とは、私には一つの牢獄のように思え、私がふたたびその秩序に組みこまれるということは、無性に腹立たしいことであった」と述べるのだ。
九死に一生を得たことに、ユングはこのような思いをもつのである。常識的に考えると、命が助かったのだからラッキーであり、幸せであるはずのことなのに、ユングはこう述懐するのだ。
ぼくはこの一文をきょうまた改めて読んで、ヒンドゥー教や仏教などの輪廻転生についての「気づき」みたいなものを味わった。それが「正しい気づき」かどうか、ぼくなどにわかるわけがないのだが、いままで輪廻転生について、そういうような生死の循環が仮にあるとして、ではなぜそれがよからぬことなのか理解できなかったのだが、(これで完全に腑に落ちたわけではないのだけど)「輪廻転生」の「肝の端」に触れたような気がしたのだ。
ユングは生還したことを「非常に落胆」して、「私がもう一度生きようと本当に決心するまでには、実際にはなお三週間あまりかかった」のである。しかし、この1944年の生還した後、代表的な多くの著作を遺すことになる
そしてぼくはふっと空想して、「この生還後に代表的な書物を著すことでユングは輪廻から脱して涅槃に至ったのかもしれない」とねごとをほざいてしまう。
さらにぼくはきょう改めてこれを読んで、もうひとつ「気づき」を得た。それは「私は存在したもの、成就したものの束である。」についてのことだが、これって、仏教の「真如」のことではないかと。ユングは真如を語っていると。まあまあ、これもぼくの他愛無いねごとということで。

2010年10月29日金曜日

超能力と科学

本日の金言……1

『邪悪なものの鎮め方』

内田樹(著)、パジリコ、2010
……私たちが「客観的根拠」として提示しうるのは、私たちの「手持ちの度量衡」で考量しうるものだけであり、私たちの「手持ちの度量衡」は科学と技術のそのつどの「限界」によって規定されている。(p154

 あらゆる科学的命題はそのつどの科学的技術の(おもに計測技術の)限界によって規定された暫定的な仮説であり、(しばしば計測技術の進歩によって)有効な反証が示されれば自動的に「歴史のゴミ箱」に棄てられる。
 「超能力」とか「霊能力」と呼ばれる能力は現に存在する。ただ、私はそれを別にそれほどのスペクタキュラーな能力だと思っていない。潜在的には、そのような能力は誰にでもあり、それが開花するきっかけを得た人において顕在化しているということだと思っている。(p157

これがまっとうな「科学観」というものだろう。いまだに科学をまるで万能の神のようにたてまつる風潮があるけど、科学というものは、そのときの「現時点」における「暫定的な仮説」にすぎない。
人をかどわかす荒唐無稽な「超能力(者)」や「霊能力(者)」を金儲けのツールにしている者や団体も事実存在している。だからといって、「超能力(者)」や「霊能力(者)」が、まったく存在しないことを証明することなど、現代科学には到底不可能なのだ。
卑近な例では、「幽霊を見た人」など、そこらじゅうにいるだろうし(ただし、ぼくはいまのところ幽霊を見たことはないが)、その幽霊を見たという人がウソをついているとは考えられない。おそらく、あなたの周囲にも、そんな人がひとりやふたりはかならずいるはずだ。
それを「科学的にはありえない」とか「幻覚ではないか」とか「幽霊に似たものを勘違いしたのでは」とか、という理由で否定する自称「科学者」も多いけれど、こういう態度はけっして「科学的」とはいえない。この場合の科学的態度とは、幽霊がいないことを証明する科学的根拠を提出することである。それが提出できないのであれば、「科学(的)」ということをバックボーンにしないことである。
あまり意味があるとは思えない国勢調査や内閣・政党支持率などの世論調査を国やマスコミがやるより、たまには「あなたは幽霊を見たことがありますか?」という全国調査をしたほうがおもしろそうだ。
だけど、こんなことを書いたからって、くれぐれインチキ「超能力(者)」や「霊能力(者)」に騙されないでいただきたい。そういう邪悪な者って、人が弱っていたり、救いを求めているときに、するするっと忍び寄ってくるから、ご注意、ご注意。

2010年10月22日金曜日

北極に暮らす日本人イヌイットの笑顔とNHK

きのうNHKのBShi で「ビデオ日記 地球最北の家族~日本人イヌイット親子三代~」 を観た。10月 6日に放送されたものを録画したものだ。
この男親子の笑顔がものすごく素敵だった。あんな笑顔が魅力的な人をこれまでいちども観たことがないような気がする。
オットセイやトナカイ(だったかな?)の海獣や渡り鳥を狩猟することで生きてゆく家族の姿を、7、8歳(?)くらいの息子の生長と、それに北極の自然の変化と合わせてドキュメンタリーで追ってゆく番組だ。
ぼくは人の笑い顔の表情に、その人のパーソナリティのおおよそすべてが表出すると75パーセントくらい本気で考えている。この番組に登場していた親子3人は、かなり幸福な人生を歩んでいる人にしかない笑顔にまちがいない。

ぼくたちは千数百年前まで、ほとんどのイヌイット(もちろん日本人の祖先としての)が狩猟採集民だったけれど、もしかしてむかしのぼくたちが狩猟採集民をやっていたころって、あのテレビで観た親子のような笑顔をもっていたのだろうか。もしそうであれば、むかしのぼくたちはものすごく、そうあの親子のように幸福だったのかもしれない。

たとえば、あの親子3人が、いまの日本で暮らしていたら、あんな笑顔はほぼ絶望的に無理だという気がする。いまふっと思ったのだが、ぼくたちはそんな時代の記憶がほんの微かだけど残っているような気がした。それにしても、なぜ、ぼくたちはあの笑顔をうしなってしまったのだろうか。

ところで、最近テレビと録画機を買い替え、ほとんどの番組を録画してから、こちらの都合のいい時間に観るようになった。そうなって、録画するのは映画とNHKの番組が大半で、ゴールデンの時間帯に放送されている民放の番組はほとんで観なくなった。お笑い系のバラエティも観ることもあるけど、その大半はたまたまチャンネルをペチペチ切り替えているときに映っても、なにか遠い世界の出来事を観るように、冷めた眼で傍観してしまう。

それにしてもテレビはどうしてあんなに通販番組が多いんだろう。まあ、テレビ会社は不況でスポンサーがつかないから、即、売上に結び付く通販会社に安いコマーシャル料金で売っているのだろう。
しかし、それにしても限度があるだろう。地上デジタルもかなりこの手のCМが増えたけど、もうBSなんて、時間帯によっては、ほとんどの民放がみんな通販番組を流しているもの。公共の電波を独占使用して、あれはないんじゃないのかな。

こんなテレビを観ていると、テレビはもう終わってるなと思う。みんなテレビってそんなに観ていないのでは。とくに若者というか、10代後半から40代前半くらいは、ほとんどテレビを観ていないような気がする。観ていても以前とくらべてかなり視聴時間が減っているはずだ。それは周囲の人たちを見てもそうだし、それにあの番組作りはほとんどが50代後半以降の高齢者をターゲットにしている。
また番組として商品を紹介したりする、いわゆるパブリシティ(パブ)がよく目につく。新聞はパブ広告のときは[広告]という文字を表示することが義務付けられているけど、テレビはCM枠ではなく、番組のなかに[広告]と表示しないでパブをそれとなく挿入させている。

もう、民放はなりふりかまわず経費節減、売上増に邁進しているけど、このままでは民放はだれも観なくなるのではないだろうか。新聞も広告が入らず、購読者も減少して汲々しているけど、あと10年もしないうちに、民放(スポンサーを付けた無料放送)と新聞(紙の宅配型)は姿を消しているかもしれない。テレビも新聞も、けっして嫌いなわけではないけど、その確率はかなり高いのでは。

ところで、録画するテレビ番組のほとんどは、映画をのぞいて、NHKのドキュメンタリーだ。製作費と時間をたっぷりかけて、かなりいい番組を作っている。NHKの制作陣は、同じ表現者として敬意をはらっている。

だがしかしである。いい番組を作るのと、あのNHKの受信料システムとは別の問題である。もちろん潤沢な製作費があるから、あのような良質の番組を多く作れることはまちがいないのだろうが、あきらかに現行の受信料徴収システムはまちがっている。

もしこのままの受信料徴収システムを続行するのであれば、テレビ受像機を販売するときには、これはNHKの受信料がかかりますと表示すべきである。BS放送が始まれば、その料金を別にとり、またワンセグの携帯電話をもつだけで、家族と離れて暮らす学生にも受信料を徴収するという。BSやワンセグの機能が付いたものを販売するときには「NHKの受信料がかかります」と表示すべきである。

でも、こういうNHK受信料の徴収のやりかたって、暴力団の「所場代」と同じシステムではないだろうか。いや、前者のほうがアコギなような気がする。もし、ぼくの言うことがまちがっていたら、だれか教えてくれませんか?

それとこれとは話がちがいますけど、あの北極に暮らす親子3代のNHKのドキュメンタリーは良かったし、あの笑顔も最高だった。あの親子3人と番組制作者に満腔より拍手を送りたいと思います。

2010年10月16日土曜日

村上春樹について

500ページ以上の『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』を3、4日で読み終えた。自分が物書きとして覚醒させられる言葉がグサグサぼくの胸に突き刺さった。


かなり村上は正直にその作家としての信条を吐露している。その作家としてのスタンスは、腰が座っているというか、覚悟があるというか。たとえば、こんな言葉だ。


「せっかくプロとしてものを書ける状況にあるんだから、あらゆる力を振り絞って書かないと、それは人生の冒涜だろうと僕は思う」


この言葉を読んで、ぼくは自分の人生を冒涜しているかもしれないと振り返った。


このインタビューを読んではじめて知ったのだが、村上本人が述べるところによると、以前は文壇や評論家など出版業界関係者から嫌われていたようだ。そんなことは知らなかったけれど、『1Q84』を読むまでは、ぼくは読者としていい印象をもっていなかった。これまでぼくが読んだ村上作品は、『風の歌を聴け』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェーの森』『約束された場所で』ぐらいだが、小説では、ドライで味けない翻訳ものを読んでいるようで、物語として耽溺できず、まったくおもしろくなかった。その文体と物語の空気感が、ぼくの肌に合わなかったのだ。


それに『ノルウェーの 森』だったか、学生運動にたいして想像性がないという趣旨のくだりがあって、そんなことをいまになって(1987年当時)言うんじゃねえと腹が立ち、そのことで村上をかなり嫌悪したものだ。


だけど、ぼくの周囲の友人・知人たち、とくにぼくより5歳以上年下には、かなり好意的に読まれており、ぼくは「村上春樹のどこがおもろいの」とふしぎに思ったものだった。


そして、友人から『1Q84』は読んだほうがいいと促された。でも、発売当初はあまり読む気はなく、しかも大ベストセラーとかになると天の邪鬼としてはさらに敬遠する気持ちがはたらいた。だけど、どういう風の吹きまわしかしらないけど、これを買ってしまったのだ。それが、ことしの7月のことだから、かなり遅い読者ということになるだろう。どうせ退屈で『1』の途中で、ほっぽり投げるだろうな、という気持ちが80パーセント以上あったので、『BOOK1』だけしか買わなかった。


ところが、なのだ。これが読み始めると、意外にもおもしろいではないか。しかも、かなり。もう、冒頭の青豆が首都高から三軒茶屋の地上に降りるときには、この物語に完全に没入してしまい、もう耽溺しながら一気に『2』と『3』を読破してしまった。その表現力の豊かさと物語性の深度に恐れ入って、まじ、これでノーベル賞だよ、唸ったもの。しかも、読み返したいとさえ思った。小説でもう一度読みたいと思ったものなんて、これまであったかな? たしかにそんな作品は記憶にはない。


ようやくここにきて、この『1Q84』で村上がおもしろくなったのか、あるいはぼくがようやく、そのおもしろさを判ったのか。はたして、どちらかなのか試してみようと、これまで読んでいない『海辺のカフカ』を読み始めると、これがまたおもしろいのだ。どうやら、ぼくが村上になんとか追いついたという形勢だけど、このあともう一度、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェーの森』を読んでみて、その判定をくだそうと思っている。


さて、この『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』だけど、ユングの集合的(普遍的)無意識をその執筆の渦中で体験していることがよくわかる。以下は村上の発言である。


イメージをつかって、お答えしましょうか。仮に、人間が家だとします。一階はあなたが生活し、料理し、食事をし、家族といっしょにテレビを見る場所です。二階にはあなたの寝室がある。そこで読書したり、眠ったりします。そして、地下階があります。それはもっと奥まった空間で、ものをストックしたり、遊具を置いたりしてある場所です。ところがこの地下階のなかには隠れた別の空間もある。それは入るのが難しい場所です。というのも、簡単には見つからない秘密の扉から入っていくことになるからです。しかし運がよければあなたは扉を見つけて、この暗い空間に入っていくことができるでしょう。その内側に何があるかはわからず、部屋のかたちも大きさも分かりません。暗闇に侵入したあなたはときに恐ろしくなるでしょうが、また別のときにはとても心地よく感じるでしょう。そこでは、奇妙なものをたくさん目撃できます。目の前に、形而上学的な記号やイメージや象徴がつぎつぎに現れるんですから。それはちょうど、夢のようなものです。無意識の世界の形態のようなね。けれどもいつか、あなたは現実世界に帰らなければならない。そのときは部屋から出て、扉を閉じ、階段を昇るんです。本を書くとき僕は、こんな感じの暗くて不思議な空間の中にいて、奇妙な無数の要素を眼にするんです。それは象徴的だとか、形而上的だとか、メタファーだとか、シュールレアリスティックだとか、言われるんでしょうね。でも僕にとって、この空間の中にいるのはとても自然なことで、それらのものごとはむしろ自然なものとして目に映ります。こうした要素が物語を書くのを助けてくれます。作家にとって書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなものです。それは、論理をいつも介入させられるとはかぎらない、法外な経験なんです。夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。

どうだろう、この一節は。もう見事にユングだよね。村上のような人を自己実現しているというのだろう。ぼくたち人間は、「夢を見るために目覚めている」ということを知り、そしてそれを表現したり実践していくことこそが、ユングの「個性化の過程」であり、真の自己実現なのだ。

この場合の「自己」というのは、一階、二階、地下階だけではなく、地下階の秘密の扉を開けて入る暗い空間を全部ふくむのである。ちまたで発せられる自己実現とは「暗い空間」はふくまれていない。だからそれは自己ではなく、「自我実現」あるいは「野心実現」程度のものなのだ。

村上は作品を発表するたびに若い読者を、さらに海外の読者を獲得している。これは人間の意識の深層には、すべての人に共通する無意識の層、つまりユングのいう「集合的無意識」があり、その無意識の水脈は年齢や国境、地域を超えて通じ合っているというあかしである。簡単にいえば、村上作品は「深い」ということだ。それは文化や言語の壁を潜って通じ合う霊的な力(あまりこういう類の言葉を使いたくないが)を有しているあかしでもある。

恐れと愚かな欲のエネルギーがグローバリーゼーションとなって世界を席巻しているが、もともとぼくたちは集合的な無意識を通じてグローバルな存在であり、その存在の忘却のはてが世界の現状のありさまかもしれない。

グローバルという言葉は、僕にはあまりぴんとこない。なぜなら我々はとくにグローバルである必要はないからです。我々は既に同質性を持っているし、物語というチャンネルを通せば、それでもうじゅうぶんであるような気がするんです。

と村上が語るように。

ちなみに村上は走ることを日課にし、またマラソンレースにも参加するらしいのだが、彼はウルトラマラソンとよばれる100キロレースを12時間近くかけて走り、その終盤に「宗教的な体験をした」という。そう彼もまた、「スポーツのピークエクスペリエンス」を体験していたのである。ぼくは「スポーツのピークエクスペリエンス」というノンフィクション(講談社のウェブサイトG2で発表)を書いたけれど、村上がこんな経験をしていたことをうれしく思った。

たぶん、ぼくはこれから遅まきながら、すべての村上作品を読むだろうし、病みつきになろうとしている徴候を感じる。ぼくは村上から何周も遅れたランナーだけど、下記の言葉を胸に刻んでこれから走り始めたい。

つまり、小説家とは、覚醒しながら夢を見ることができる人々なのだという言い方もできます。それは特別な存在だあり、特別な能力であると、僕は考えています。