2019年3月22日金曜日

昨夜トイレに起きて、戻って布団に入ったら、突然「与作」が浮かんだ。そして、こんな替え歌ができてしまった。

「諭吉」

諭吉は余ってる
ジャブジャブホー ジャブジャブホー
諭吉は来ないよ
オイラのふところに ふところに
諭吉はどこ行った
内部留保 内部留保
諭吉はどこ行った
銀行へ 銀行へ
諭吉はどこ行った
日銀へ 日銀へ
諭吉はどこ行った
兜町へ 兜町へ
諭吉はどこ行った
アメリカへ アメリカへ
諭吉 諭吉
戻って来ないのか
諭吉 諭吉
戻って来ないのか
諭吉は余ってる
ジャブジャブホー ジャブジャブホー
諭吉は来ないよ
オイラのふところに ふところに

2018年11月5日月曜日

伊藤美誠、完膚なきまでに世界ナンバーワンを叩き潰す! スウェーデンオープン女子決勝 対朱雨玲戦

伊藤が世界ランクトップの朱雨玲を4-0のストレートで破った。ゲーム内容もカウント以上の完璧な勝利だった。この大会で伊藤は準々決勝で劉詩文(WR6位)、準決勝で丁寧(WR2位)をも撃破した。



決勝戦は圧巻だった。痛快だった。伊藤は世界ナンバーワン相手に、あれだけノータッチを連発し、やりたい放題に強打が決まれば、もう楽しくて仕方ないだろう。いっぽう、中国選手及び指導者はこの敗戦に大きなショックを受けたことだろう。



それは単に試合の流れとか、戦術とか、伊藤の調子が並外れてよかったとか、という一過性の敗戦ではないからだ。この敗戦は、中国女子卓球の「構造的」な転換を迫られたことを意味する。中国女子は「男子卓球」をめざし、強力なスピンとスピードを併せもったドライブを主戦としたパワー卓球で、ここ10年近く世界女子に君臨した。



ところが今回、伊藤との対戦では、その強力なドライブを伊藤に狙い打ちされたのだ。それはそのパワー卓球の弱点をさらけ出したともいえる。伊藤はこの中国3選手を相手にラリー戦で圧倒した。いままでラリーで絶対的な強みを持った中国が、その得意のラリーで伊藤に屈したのだ。



ではその中国女子の「弱点」とはなにか? それはドライブをかけるときにどうしても必要な準備というか予備動作というか、「ため」が必要なのだが、その一瞬の時間が弱点となるのだ。もちろん、対伊藤戦においては、という但し書きが入るが。その一瞬の時間が伊藤にとっては強打のタイミングとなる。



何度も強調しているが、卓球の究極のポイントは「タイミング」に集約される。レベルが上がるほど、タイミングをいかにとるかの争いに絞られる。



ではなぜ突然、中国卓球の主戦武器だったパワー卓球が伊藤の強打の餌食になったのだろうか? それは伊藤のフォアハンド及びバックハンドのスイング技術にある。その特徴は以下の通りだ。



    バックスイングをとらない(あるいは極めて小さい)

    高いラケットの位置

    水平スイング



このスイングは卓球技術研究所(卓技研)が、ここ12年以上ずっと提唱してきた「水平打法」にあてはまる。この①②③によって、中国女子のパワードライブを強打することが可能になるのだ。

さらに伊藤は同じく卓技研が提唱してきた「ハイブリッドタクティクス」をも身に着けていた。

    水平強打

    ドライブ

    ナックル強打

をラリーのなかで臨機応変に使う戦法だ。



伊藤はラリーになれば水平強打ばかりかナックル強打も織り交ぜていた。ナックル強打はカット気味に強打することで、たとえ相手がその強打のスピードに対応してラケットに当てても、ナックル球質のためボールを落としてしまう。前陣でのラリーでスピードがあるナックルは、なかなか簡単に対応できるものではない。事実、中国選手は伊藤のナックル強打をネットにかけていた。強打への対応に必死なのに、そこにナックルというもう一つの課題が入ると、そうは人間は対応できないのだ。



卓球の戦術的な最大のポイントは相手に2つ以上の課題を与えることである。



さらに伊藤は両ドライブ(日本女子ではかなりの強ドライブ)も持っている。どうしても打球点を落として対応しなければならないときや2球目、3球目、4球目において、スピン系の打球点の低いボールを起こすときにはドライブが必要だ。ドライブはたとえ打球点を落としても攻撃になる。伊藤はこの3つの打法をマスターしている。



さらにはブロック及びカウンター技術も素晴らしい。上記の三つの水平打法はブロック及びカウンター技術として併用できるのだ。



おそらく、まちがいなく中国は対伊藤に血眼になって対策してくるだろう。「伊藤コピー選手」がつくられるだろう。でも伊藤卓球の前に彼らは何ができるのだろうか。もし、これまで通りのパワー卓球を指向するなら、以下のような対策を立てるだろう。



    より深く、より強力なドライブ

    ラリー戦に持ち込まず、サーブ⇒3球目⇒5球目、レシーブ⇒4球目⇒6球目で決めてしまう

    ラリーになれば、両サイド(とくにフォアサイド)を鋭くえぐる



この3点ぐらいしか思い浮かばない。逆に言うと、伊藤は以上の3つのポイントへの対策が必要だろう。



おそらく中国は「パワー卓球」にかわる新しい卓球を2020年東京五輪までに開発するのではないか。いずれにせよ、これから中国が伊藤に対してどんな卓球で挑んでくるのか、とても楽しみだ。



伊藤が新しい卓球の地平を開拓した。日本の新しいプレイヤーは、伊藤のバックスイング、打球点、スイング軌道にぜひ注目してもらいたい。まずまちがいなく、世界の卓球は伊藤の地平に向かうだろう。

卓球技術研究所(卓技研)
秋葉龍一


2018年6月30日土曜日

西野采配 試合と勝負について

やっぱり、これは書いておこう。

そう、サッカーw杯の日本対ポーランド戦の後半約10分のボールをまわすだけの「西野采配」について。

この「出来事」、日本はもちろん世界中でトピックになっているようだ。そりゃそうだろう。サッカーでもっとも権威のある大会で約10分間にしろ、対戦する両チームがともにゴールを目指さなかったんだもの。

サッカーの試合では、ゲーム終了まえにゴールを目指さず、ボールをまわしたり、わざとゆっくりプレーする行為をよく見かける。だが、それは勝っているときや引き分けに持ち込みたいチームがするもので、対戦するチームは残り少ない時間のなかで躍起になってボールを奪いに行きゴールを目指す。

これはすくなくとも試合は成立している。サッカーはゴールを目指し、ゴールを奪われるのを阻止するスポーツだからだ。だけど、今回の対ポーランド戦では、日本がボールをまわしてもポーランドは奪いにくることもしないで、両チームが自チームの思惑にそって、ただただ時間を経過させるために費やした。

これ、この時間はサッカーというスポーツゲームが成立していないことになる。

もちろん、日本は決勝トーナメント進出、ポーランドは1勝がほしいという思惑があることは百も承知だ。(もちろんぼくも、切に日本が決勝Tにいけることを願った)

でも、その思惑のために一つの試合が蔑ろにされていいのだろうか?

もっと言うと、その思惑のために、サッカーというスポーツが、出場した選手が、観客が侮辱されてもいいのだろうか?(自分でも過言のきらいがあることは承知しているが、あえて言ってしまおう)

この試合はプロの試合だ。入場料やテレビ放映料をとって見せる興行である。この試合に来た観客や視聴者を蔑ろにしたことにはならないのか。これ「木戸銭返せ!」の事態だろ。それに観客や視聴者のなかには、日本やポーランドといった当事国の人だけではなく、この試合の勝負結果にこだわらない世界中のサッカーファンも多くいたはずだが、そういう観戦者にとってはとくにそうだろう。

もっと本質的なことを言うと、「試合」と「勝負」という関係性にぶちあたる。もちろん、試合は勝負という勝ち負けをかけてたたかうのだが、ぼくたちはうっかりすると試合というプレーの中身というか内容よりも、勝負を優先してしまう傾向にある。

ちょっと強引にいうと、試合というかゲームはそのプロセス(経過、中身、内容)であり、勝負は結果である。

サッカーであれ、野球であれ、卓球であれ、とにかく日本が勝てば、自分のひいきのチームが勝てば、そのゲームのプロセスを問わず、とりあえずはうれしい。その、如何ともしがたい、勝負に感情が左右されるサガは認める。ぼくも日本代表が決勝Tに進むことを強く願って、ギャンブル的な「西野采配」がうまく的中したことをよろこんでいるココロももっている。

でもね、ほんとは「勝負」なんて、どうでもいいんだ。ちょっと、言いすぎだと書いている自分も思うけど、本質的には勝負より試合の中身だよ。

報道によれば西野監督は選手たちに、ポーランド戦での「采配」についてわびたそうだ。西野監督は開き直りも悪びれもしないで率直に選手にあやまったのは救いがある。

ちなみに、スポーツの試合を経験したことがある人ならわかるだろうが、あまりに勝負にこだわった試合は、たとえ勝ったとしても、後味が悪いというか、素直に喜べないものだ。まあ、勝負にこだわるとほとんど負けるのだが。勝ちたいという気持ちは大切だが、試合中勝負を意識したとたん、消極的なプレーになったり、力みすぎて身体(とくに腕や手)にぎくしゃくして、本来の自分の力を発揮できなくなる。ここはスポーツ競技におけるメンタリティのキモだ。

もう一つ、ちなみに。ぼくはスポーツの試合を観るときは、勝負よりプレーそのものに集中して観るように念じる。勝ち負けより、プレーの中身だ、と肝に銘じてみるのだ。そうすることで、プレーヤーのパフォーマンスやメンタルなど、微妙で深みのある醍醐味を味わえる。勝負にこだわると、どうしてもプレーやゲームの妙味を味わうことがうすくなる。そうやって勝負よりプレーだと念じても、味方が優位に立ったり、勝ったりしたときのうれしさはかならずわいてくるものだ。

で、たとえ負けても、自分のありったけの能力を目一杯発揮して、素晴らしいプレーができたときは、試合後は負けた悔しさよりもいいプレーができた充実感のほうがうわまわることがある。それは非常にレアなことだけど、ある程度競技スポーツをしたことがある人なら、思い当たるかもしれない。

できれば西野監督は、あの試合を会場でテレビで観戦したすべての人にも、わびたほうがいいと思う。そのうえで、次のベルギー戦の抱負を聞かせてほしい。

ベルギー戦は3日の夜中の3時。眠いけど、ぜったいに視る。

2018年2月5日月曜日

伊藤美誠の〝ミマパンチ〟が有効なのはなぜか


伊藤美誠の強さはハイブリッドにある




伊藤美誠と張本智和に共通しているのは、前陣でライジングで強打・強ドライブし、タイミングが速いことだ。異なるのは、伊藤は奔放で、張本は基本に忠実なこと。伊藤の卓球はジャズのようなアドリブの即興演奏、張本は指揮者のタクトに的確に応えるクラシック交響楽というか。



張本は、こういう卓球ができればいいという理想的な卓球をリアルに実現してみせることにある。張本の指導者はかなりハイレベルな卓球技術観があり、張本はその指導者の教示を信頼し、またそれを実現できる才能がある。



いっぽう伊藤は、練習や実戦で意識や意図しないで得た体感を、技術的な武器にすることができる。その顕れが、あの〝ミマパンチ〟だろう。ミマパンチのような打ち方をされると、まず返せない。なぜなら、スイングフォームの「系」がこれまでと違うからだ。



フォアハンドをミマパンチように打つ者は、これまでいなかったから、対戦相手は不意をつかれる。それはタイミングが合わないことを意味する。系の違いとは、タイミングの違いだ。



伊藤がこれまでと系が異なるスイングができるのは、彼女の性格と指導者にあるだろう。伊藤の性格は大胆で奔放だが、あるいはそのように見えるが、ものすごく繊細ではないだろうか。自分の考えや思いを十分に自覚できる、とても賢明な知性がある。メタ認知能力に優れているというか。



日本社会や日本のスポーツ指導者は伊藤のようなタイプにたいして、とかく型にはめたがる傾向がある。もし、伊藤がそんな指導者の手にかかっていたら、伊藤はここまで成長することができなかったのではないか。



彼女の性格を十分に理解し、彼女の才能を活かせる指導者が存在したことで、彼女の才能は開花したのだと思う。ふつうの指導者なら練習中にミマパンチのようなスイングをすると、「ちゃんと打つように」と注意をするはずだ。



もちろん、そういう、ちょっとありえない打ち方には弱点もあるもので、ミマパンチも、予想を超えた深いボールや伸びるボールが来た場合、オーバーミスをする可能性が高い。



オーバーミスといえば、伊藤がフォアサイドのちょっと高いボールを強打する時、オーバーミスを連発することがある。あれは伊藤がインパクトするときラケット面が外に開くためだ。深くて伸びるボール、それに身長の低さによって、オーバーミスが顕著になる。



なぜ面を開いて打つのかというと、おそらくパワーを出したいためだろう。1月の全日本ではその面の開きは相当改善されていたが、まだその傾向というか癖はある。フォアハンド強打するとき、手首で面を外に開かないように意識して、肘を外に少し張るようにすれば面は外には向かない。



でも、あまり伊藤に細かいことを注意しないほうがいいかもしれない。




タイミングとハイブリッド・タクティクス




さて、伊藤の卓球は、これまで卓技研でたびたび説いてきた「ハイブリッド・タクティクス」のリアルバージョンだ。ついに現れたか、という感慨がある。



どこがハイブリッドかといえば、トップスピン(ドライブ)とアタック(強打)の両方を随時使えることだ。



いま日本も世界も、その主流はトップスピン。ラリーになれば、男女ともドライブでトップスピンにしてリターンする。もちろんドライブは優れたテクニックである。前陣でも中陣でも後陣でも、打球点が高くても、低くても、攻撃的な打球にすることができる。近年では、チキータや台上ドライブによって、台から出ない短いボールでも攻撃することができるが、これもドライブ技術の系だ。



だから、これからもドライブは卓球の主要技術であることにはかわりない。ただ、ここのところ、ドライブがそうそう効かなくなってきた。ドライブ一発で抜いたり、決めたりすることが減ってきた。プレイヤーがドライブのボールになれてきたのだ。



それは相手がドライブボールを打つタイミングにもなれてきたことでもある。

相手がドライブを打つ時と、強打する時では、その打つタイミングが異なるし、とうぜんそのボールに対応するタイミングも異なるが、いまではほとんどが、ドライブで打つので、相手がドライブを打つ時のタイミングで対応する。



で、そのタイミングが、ほぼすべてのプレイヤーの感覚に染み込んでいるので、いくら強力なドライブでもタイミングを合わせやすくなり、ドライブの効果が半減したのだ。



ここで卓球にとって決定的なことを述べる。卓球は突き詰めれば「タイミング」なのだ。タイミングを争うゲーム、といってもよい。



スピードも、スピンも、パワーも、そしてコースもすべてタイミングに集約される。スピードがあって、スピンがあって、パワーがあるボールが効果的なのはタイミングがとりにくいからだ。



ただし、そんなボールばかりの一本調子で、しかもコースが限定されれば、次第にその効果は薄れてくるだろう。なぜなら、タイミングが合わせやすくなるため。



そう考えると、これからの卓球はドライブにプラス、違う「系」のタイミングのボールを打つ必要がある、ということに行きつくだろう。(つづく)

2018年1月28日日曜日

張本が水谷を、伊藤が石川を撃破した、その卓球の先進性とはなにか


張本のプレイは卓球の新たな次元のオープニングとなった



今年度の全日本卓球選手権のシングルスは、男子は14歳の張本、女子は17歳の伊藤が制覇した。

十代の中学生と高校生である。ぼくはこのふたりの優勝を格段驚かない。なぜなら、その力量はこれまで日本の卓球界を牽引していた水谷と石川をすでに凌駕していたからだ。だから、十代の彼らが優勝しても何のふしぎもなかった。事実、今回の優勝者は彼らであることを予想してツイッターに発表していた。



では、この十代のふたりのどこが優れて、水谷と石川を凌駕しているのか?



まず張本だ。端的に張本と水谷の力量の相違は「つなぎ」と「強打」の違いだ。水谷がつなぐケースで張本は強打できる、ということである。



水谷はボールを持つ技術、「つなぎ」に優れたプレイヤーだと見られていた。そのつなぎ技術はミスが少なく、かつ相手に決定打を許さないボールコントロールを有している。また、あのロビングなど、相手攻撃にも耐える守備力も群を抜いていただろう。



だが、この水谷のつなぎ技術は張本の前では、まったく通用しなかった。張本は、水谷がつなぐとそれをライジング強打や前陣強ドライブ一発で抜いた。水谷のストロングポイントが張本にかかっては恰好の餌食になったのだ。



ぼくは水谷のつなぐ卓球や、すぐに下がったり、安易にロビングすることは、彼の成長によくないと思っていた。そんな水谷も最近では、以前よりはロビングも少なくなったし、前で攻めるようになったけど、それでもあの「つなぎ」が彼のもう一段の成長を止めていた。



さて、水谷は昨年の世界選手権で張本に敗れている。だから今回水谷は、張本対策をとうぜん考えたはずだ。対策するのは、まずサービス。それと攻撃的プレーに徹するという二点だろうと見ていた。

そして全日本決勝。ゲームが開始されると、あきらかに水谷は前に陣取り積極的に攻撃に打って出た。先に攻めようという意志は十分にうかがえた。



だが水谷が、どうしても攻められないボールをつなぐと、ことごとく張本の強攻にしてやられた。張本のバックにつなげば、猛スピードで水谷のフォアサイドを切るバックハンドで、フォアに振れば、その強ドライブでクロスとストレートの左右に打ち分けられた。苦し紛れにロビングをあげれば1、2本でぶち抜かれた。



そう、張本の強打、強ドライブを水谷は止めることができないのだ。彼の得意な「つなぎ」で「しのぐ」ことができない。



オリンピック・シングルスの銅メダリストであり、全日本チャンピオンの水谷だが、張本と対戦したとき、水谷の打球が「甘く」見えた。水谷が「ふつうにつなぐ」ボールが、イージーな打球に見えた。いや、水谷が甘く、イージーなのではない。そう見えさせる張本の力量が凄いのだ。

おそらく、日本はもちろん世界の卓球は、今後、張本の卓球が基準となるだろう。



それは相手に時間を簡単に与えない卓球といってもいい。もちろん、それは自分がプレーするのに必要な時間も少なくなることを意味している。



張本の技術は世界最高クラスだが、難しい卓球をしているわけではない。高レベルだが、とてもシンプルな卓球をしている。自分のタイミングがとれれば、強打、強ドライブするだけである。



そのスイングフォームも実にシンプルだ。たとえば台上強打。フォアハンドフリックというやつだが、短く低く飛んでくる台上のボールにたいして、その頂点をラケット面をほぼ垂直にしてテイクバックをとらず、肘を支点に水平軌道でコンパクトに振りぬく。別段、複雑な技術ではない。ポイントは台上でバウンドしたボールの頂点を逃さず、ボールの側面を叩くだけだ。



どんな低いボールでも、バウンドするときその頂点はほとんどがネットの高さを越える。ネットの越えた高さのボールは、直線軌道を描く強打をしても高さ的に「入る」のだ。



さて、張本は中国卓球に通じるだろうか? 



それはもう十分だろう。たぶん、今年か来年中には、中国のトップ選手を破るはずだ。中国選手の回転量豊富な前中陣からのパワードライブ対張本の前陣ライジング強打・強打ドライブのすさまじいラリーが展開されるにちがいない。

だが、時間の問題だ。張本が勝つのは。なぜなら、張本卓球は現中国卓球よりもそのプレースタイルが先進的だからだ。また、そういうプレーができる資質にも張本は恵まれている。



だが、中国を侮ってはいけない。こと、中国の卓球に関する慧眼は恐るべきものがある。

中国は張本タイプの卓球プレイヤーを近い将来、きっと輩出してくるだろう。なぜなら、このままでは中国は張本に勝てないと予測し、張本卓球が今後の世界卓球の最強スタイルであることを読み切っているだろうから。

そんな中国と張本が決戦の場で対決するシーンは、卓球の新たな次元のオープニングを告げるだろう。



※女子卓球、伊藤美誠については後日、掲載します。

2017年7月12日水曜日

子育てママの悩みとイライラをカウンセラー・メソッドで救いたい!


ぼくは神経症だった。
Kinki Kidsの堂本剛、大場久美子や円広志、中川剛(中川家のお兄ちゃん)、萩原流行、アン・ルイス、田中美里、それにマイケルジャクソンや「種の起源」のダーウィンも患った「こころの病」だ。

いまは「神経症」ではなく「パニック障害」と呼ばれることが多くなった。以前は「ノイローゼ」とも呼ばれた。

これといった原因もわからないのに、吐き気や喉のつまり、激しい動悸、過呼吸などの症状、それに電車や劇場、理美容院などの閉鎖された空間にいるのがとても恐ろしい。
そして得も言われぬ不安感に見舞われる。その不安感が最高潮に高まったとき、動悸や不整脈という身体症状をともなったりしてパニックにおちて、救急搬送される人もいる。
ぼくは救急車をよばなかったが、119した人の気持ちはわかる。
ほんとに、死ぬと思うのだ。


ぼくは、ある日、自宅から駅に向かっていた。車が通らない狭い路地だった。
何の脈絡もなく「発狂する」という、どう表現したらいいんだろうか、とにかく気が狂うという感覚に襲われた。
病院に駆け込まなくてはと焦り、病院を探すため電柱広告に目を向けた。目を向けつつも、病院では治らないと、なぜか確信的な直感がはたらいた。
結局、ぼくはこの「不安発作」とよばれる症状で、一度も病院の門は叩かなかった。その「直感」は、いまでも正しかったと思う。
なぜなら、すばらしいカウンセラーにめぐりあえたからだ。


ちょっとした「偶然」で、早乙女紀代美というユング派のカウンセラーに出会った。
カール・ユングなら「偶然」ではなく「シンクロニシティ」とよぶ、出会いだったかもしれない。
週一ペースのカウンセリングで、その後は週2週3と間隔は空いたが、7年間通った。途中からは、生き方など、自分の人生のよりどころを求めてカウンセリングしてもらっているようだった。というか、早乙女先生と話したかったのかもしれない。


 いつまでも自己実現から目を背けていることへのメッセージが神経症のさまざまな症状として伝えられる、というのがユングの神経症の考え方だ、とぼくは勝手に理解している。
「自己実現」なんて言わなく、「自分らしく生きる」と言ってもいいだろう。

 ただし、何が「自分らしく生きる」なのか、これが自分のことなのに、意外とむずかしいのだけど。

「神経症は一見否定的な姿ではあるが、新しい次元に至るための、一つの手段とも考えられよう」(山中康裕)と、ユング派の専門家は、その症状は個人を優れて肯定的な領域へ導くものだと捉えている。このユングの神経症への理解はフロイトともアドラーともちがう。


 で、ともかくぼくは年間、東京・目白にある「東京ユング研究会相談室」の早乙女紀代美のもとに通ったのだ。そう、早乙女先生と話したいために。
 先生に会うと生きるのが楽しくなるというか、うれしさとともに、さあ自分らしく生きよう、というウキウキした気分になる。

 

さて、ここからが本題だ。

早乙女先生はぼくのような神経症のクライアントの相談にのる一方で、子育て中のお母さんたちにも関わっていた。
悩める子育てママの信頼が厚く、「子育て講座」の超人気講師でもある。なぜ人気なのか、よくわかる。
 だって、先生に会うと、子育てのイライラなんて消えて、子どものお母さんとしても、ひとりの人間としても、自分が楽しくなるにきまっているんだから。

 そんな早乙女先生が子育ての本を著した。


 『子育てに大切なのはお母さんが楽しく生きることです。』


 このタイトル、じつにまことに、先生らしい。

 本書の内容をピックアップしてみた。


*ほんとうに子どもにとっていいお母さんとは、「お母さんは幸せ」と子どもが感じるお母さんです。


*お母さんが楽しく生きていると、子どもはすぐに変わります。それだけで、子育てはだいじょうぶです。


*お母さんが幸せだと、子どもはこの世界を肯定できて、すくすくと育つ素地となるのです。


*幸せなお母さんに育てられた子どもは、幸せな人に育ちます。


*子どもはお母さんを見て育ちます。お母さんが幸せであれば、子どもも幸せな人生を生きようとします。なぜなら、お母さんのように、幸せな人生を送りたいと願うからです。


*子どもは、お母さんを世界のだれよりも愛しています。世界でいちばん、お母さんが好きです。このことをどうか、お母さんははっきりと自覚してください。この「自覚」が、子育ての大切なポイントです。


*いいお母さんになろうと無理してがんばっていませんか? その「がんばり」がイライラの原因です。


*子育ての目的とはなんでしょう? それは「自分で自分を幸せにすることができる人を育てる」ことです。


*子どもの困った行動は、「お母さん、ぼくの気持ちわかって!」というサインです。そのサインにお母さんが気づくと、子どもは1日でパッと変わります。


*夫が子育てをよろこんでやってくれる、絶大な効果がある〝3つのポイント〟をご紹介します。


*上の子、下の子、真ん中の子、ひとりっ子、それぞれの〝子どもの気持ち〟にあった子育てが必要です。



 


2014年8月22日金曜日

アメリカでは15億円の邸宅がパンケーキのように売れ、50ドルの葉巻を盗んだとされた黒人少年が射殺される

アメリカ・ミズーリ州で、両手を上げて無抵抗の18歳の黒人少年が警官に撃たれ死亡した。

頭部や腕に6発の銃弾をあびていた。

地元警察の発表によると、少年は雑貨店で50ドル相当の葉巻を盗んだという。

この事件を契機に、ミズーリ州では抗議デモや騒乱がひろがっている。

いっぽう、同じアメリカのニューヨークでは、「15億円程度の物件はパンケーキのように簡単に売れる」と、地元の不動産業者がこともなげに語る。

ここ連日、ニューヨーク・ダウは値上がりし、アメリカの景気回復をマーケットは如実にあらわしているという。
 
だが、アメリカの一般市民に景気回復の実感はない。
 
なぜか。
 
景気が回復したとされる、その「益」のほぼすべてが富裕層の手中に収まるからだ。
 
アメリカの所得上位10%の収入が全国民の全収入の半分に近い。
 
ごくほんの一部の富裕層はますます富み、それ以外のほとんどの国民は「景気回復」の恩恵にあずかれない。
 
そればかりか、貧困層はひごとに激増している。
 
現在、アメリカの貧困層は5千万人(アメリカ国勢調査局)に迫るという。
 
15億円の物件がパンケーキのように売れ、50ドルの葉巻を盗んで殺されるというアメリカ社会。
 
このいびつで異常な格差。
 
だが、これはアメリカだけにかぎったはなしではない。

日本の東京マーケットでも、連日のように株価が値上がりしている。
 
多くの大企業の収益も増えている。
 
だが、ぼくたち一般市民は、そんな株価が示すような経済実感をまるでおぼえない。
 
その「益」はどこに集まっているんだろうか。
 
アベノミクスの第4の矢は、パンケーキを突きさすだろう。
 
(参考資料『朝日新聞』2014年8月21日朝刊)

2014年8月16日土曜日

こんなコメントが寄せられました。 「千葉北西部在住ですが、震災以降、友人知人で橋本病、血液の異常、リウマチ、蕁麻疹の重症化、原因不明の関節痛と慢性疲労…他で入院する人が後を断ちません」

数日前、本ブログの「柏市など東葛地区の乳幼児16人中8人から「末梢血リンパ球異常」。検査医師は子どもの避難を勧告」(201234日)に、つぎのようなコメントが届きました。 http://akiba1.blogspot.jp/2012/03/8.html?showComment=1407760453753



千葉北西部在住ですが、震災以降、友人知人で橋本病、血液の異常(詳しく聞いていませんがおそらくリンパ関係)、リウマチ、蕁麻疹の重症化、原因不明の関節痛と慢性疲労…他で入院する人が後を断ちません。

年賀状30枚程の交友関係の中で明らかな異常を感じています。

確かに、東北からの知人から今のところ体調不良の話は聞きません(個人の耳にする範囲のデータなので=東北が安全ではありません)。

原発事故とほぼ同時に千葉県の市原のコンビナートで火災事故がありそこに劣化ウランが保管されていたとの噂を聞きました。

当時その事を危険視するチェーンメールがまわりTVで否定されていましたが、今になってデマではなかったのでは?と疑っています。

素人の片手間の情報収集では限界があります。

この事をおってくれる有力者、ジャーナリストなどおられないのでしょうか。

他力本願ですが日常生活に追われる人間の本音です。

2014811日月曜日 21:34:00



20113月の震災にともなう、千葉・市原のコンビナート(チッソ石油化学株式会社五井製造所)で火災が発生したが、保管されていた劣化ウランに延焼し大気中に拡散したのではないかという情報がひろまりました。

その後の状況について、はっきりしないままだったのですが、約3年半たって、この事故の影響を危惧する声がこんなかたちでもたらされました。

この問題を追及するジャーナリストはいないか、ということですが……。

それにしても、劣化ウランは、この千葉県の市原だけでなく、日本全国に195か所(文部科学省報告)に保管されていることに驚きます。

なぜ、こんなものがこんなにたくさん、この日本にあるのでしょうか。

なお、ネット検索すると、以下のようなデータがありました。

■週刊朝日92日号(823日発売) スクープ!「新しい放射能危機」放置された劣化ウラン 全国195カ所に15456600リットル分の放射性物質


 

 

2014年8月4日月曜日

都知事の五輪会場変更理由は、東京湾に「大腸菌がいっぱい」だからではなく、「放射能汚染がひどい」からではないか

舛添要一都知事が先月30日、2020年東京五輪・パラリンピックのトライアスロン会場をお台場海浜公園(港区)から変更する可能性を明らかにした。

その理由が「東京湾は大腸菌がいっぱいで汚い」というもの。

この都知事の発言に、はげしい違和感をおぼえた。

だって、東京湾に大腸菌がいっぱいなんて、五輪会場を選定する前からわかっていたことなんだもの。

お台場海浜公園が会場ではまずい、という理由に、あまりにも説得力がない。

で、けさのことだ。

どうしたことか、めざめとともに、トライアスロン会場の変更の理由が、ぼくの脳裏に降りて来たのだ。

それは「放射能汚染がひどくて、とてもトライアスロンなんてできない」というものだった。

そうか! 

これなら、トライアスロン会場を変更したい理由が腑に落ちる。

東京湾の放射能汚染が、海外で問題になることを回避したいための会場変更発言だったのではないか。

広い関東平野に降り積もった放射性物質が、いまも河川をつうじて、どんどん東京湾に流れこんでいる。

1年ほど前だったか、江戸川のアナゴが高濃度に汚染されていたことが発覚してニュースになったことも記憶にある。

さてさて、ぼくの夢のお告げならぬ、めざめのお告げの信憑性はどうだろう。

ねえ、舛添さん。

2014年4月2日水曜日

発熱。2日後、原因不明の歩行不能状態に。6日連続の点滴で……。


先々週土曜に発熱。夕方急に悪寒がして、8度ほどまで体温計が上がる。
 
その2日後の先週月曜のこれも夕方、右脚の膝裏が伸びないなと感じた3時間後に脚が伸ばせなくなり歩けなくなった。あれよあれよの、 歩行不能。右膝がすこし熱があり、腫れている。
 
翌日、総合病院の整形外科へ。
 
血液検査で炎症反応を示すCRPが6以上(ネット検索すると中程度以上の炎症、15で重体とあり)、すぐに抗生物質の点滴を受け、抗炎症剤や痛み止め、胃薬などが処方される。
 
生まれて初めて車椅子と松葉づえを使った。病院常備の車椅子はありがたかったな。
 
病院帰りのタクシーを降りて玄関までは松葉づえ。階段や段差が何段かあって、ちょっとした高さも松葉づえでのぼるのに苦労するし、転ぶのがこわい。
 
看護師さんから「転ぶ人がいるから気をつけてね」と聞かされていたけど、そのことばの重みをひしひしと感じる。いやあ、なってはじめて実感するバリアフリーの必要性だ。
 
でも、この松葉づえ、自宅内でトイレに行くときなどに重宝する。
 
点滴を受けて3時間後ぐらいから、伸ばせなかった脚がいくらか伸びるようになり、松葉づえがなくても歩けるようになった。点滴の効果てきめん。
 
どちらかというと、西洋近代医学には懐疑的だったのだが、この手の疾患、それに救命にはつよい。
 
これ、たとえば漢方だと、どういうようなメソッドがあるんだろうか。ぼくは漢方が好きなんだけど、今回はできたばかりの大きな総合病院を選んだことが正解だった。
 
3日連続で点滴を受けて血液検査でCRPが5.33に。まだ数値が高いということで、さらに3日連続で点滴を続行。そして昨日の検査で1.35に。医師は点滴と薬をやめて様子をみるという方針。
 
この間、ずっと微熱があったが、きょうはずっと6.8度。右脚はまだ完全に伸ばせないが、おおよそ90%は治った気がする。
 
この間、大切な仕事をひとつキャンセルして、数名の方にご迷惑をお掛けしてしまった。でも、辛かったけど、貴重な体験をした。きついけど、病や痛みはある種のメッセージだと思っているのだ。

 
ことしになって、急に仕事にめざめ、仕事に励みだしたのはいいけど、病や症状がつぎつぎとやってくる。なんで、忙しくなったときにかぎって病気になっちゃうのか、ちょっと恨みたくもなるけど、まあ人生、そんなものだとも思う。
 
久しぶりにこのブログを書いた。仕事もたまっている。さあ、いまから某出版社へ行かなくちゃ。
 
 

2014年3月20日木曜日

ミスをしない人間はいない。であれば、事故のない原発は存在しない。

1976年2月18日。

米議会原子力合同委員会にGEの原子力技術者デール・ブラインデンボーら3人が出席したのは、福島第一原発や敦賀原発など、日本の原発の「問題提起」のためである。

問題提起とは、有り体にいえば「内部告発」だ。

言うまでもなく、内部告発はそれなりの勇気を伴う行為である。

この告発者たちは、わが身にふりかかるかもしれない負担や危険性をかえりみず、つぎのような具体的な問題を挙げた。

①福島第一原発1~5号機に使われているマーク1型格納容器の弱点

②配線貫通部の樹脂の弱さ

③機器の多様性の欠如

④共通原因故障の恐れ

⑤政府の規制の不十分さ

⑥平和目的の原発と核兵器生産の技術の密接なつながり

⑦核拡散の恐れ

以上の①から④は技術的な問題である。
 
これらの「問題」は、1976年で解決したのではなく、2011年3月11日までずっと未解決だったのではないか。
 
さらに、すくなくとも、たとえば敦賀原発などでは、引き続きこの「問題」が未解決のままなのではないか。
 
今夏にも鹿児島の川内原発を再稼働させるという動きがあるが、果たして原子力規制委員会は原発の全施設にあるそれぞれの検証ポイントに、専門的知見のある第3者的な立場の技術者を伴って検証作業をしたのであろうか。
 
米議会で告発者が述べたように、日本の原子力業界は「隠蔽体質」なのだから、このような検証作業が欠かせないはずだ。
 
そして仮に、日本の原発が「世界一安全」であろうとも、第2、第3のフクシマが起きないという保証は絶対にできない。
 
「世界一安全」は、あくまで「想定」であり、あるいは人をあざむく「神話」であるかもしれないのだから。
 
仮に本当に「世界一安全」だったとしても、それは他の原発との比較にすぎず、それが絶対に事故を起こさないという保証はない。
 
人間は「絶対に安全」であるという技術は作りだせないからだ。
 
すくなくとも現在まで、そういう技術はなかった。
 
なぜなら、人はミスをかならずするものであるからだ。
 
自動車を例に挙げよう。
 
自動車が売り出されるまで、徹底的な技術検証がなされる。
 
しかし、トヨタであろうとホンダであろうと、あるいは外国産であろうと、リコールされる車は後を絶たない。
 
自動車は数多くのチェックポイントがあるが、それでも原発と比較すると圧倒的にコンパクトなサイズであり、また通常は原発とちがって、放射線の心配の要らない安全な環境で検証できる。
 
また技術的な歴史も原発より長い。
 
それでも、「想定外」の事態が発生して問題が起きる。
 
そして「リコール」という文字を新聞紙面で見ることになる。
 
あるいは自動車ではなく、もっとごく単純な検証作業である本づくりにおいても、しかりである。
 
本の制作の検証作業の多くは文章チェックに費やされる。
 
通常、本に記載されてある文章は、筆者、担当編集者、プロの校正者がチェックする。
 
その文章に問題があるとすれば、校正という検証作業をおこなう自分の目の前、ほんの数十センチの距離に存在する。
 
つまり問題が内在しているかもしれないゲラという対象は、検証者のすぐ目の前にあるのだ。
 
そして、初校、再校と、すくなくとも4度、5度は、その文章の書き手と編集者、プロの校正者など、複数の目が通る。
 
延べで、15回以上は全文を検証するだろうか。
 
だが、それでもミスは起きる。
 
しかも、単純な誤字脱字のまちがいも多い。
 
本を読んでいて、そんなミスを見つけたことがある人も多いことだろう。
 
そうなのだ。
 
人間はミスをする。失敗をするものだ。
 
すぐ目の前に問題があるのに、それでもごく単純なミスをするのだ。
 
それが原子力発電という巨大で、専門分野の異なる技術検証が必要な複雑なプラントなら、その検証作業の専門性や困難性は、本の文章校正の比ではないはずである。
 
であれば、とうぜんミスをする確率も多くなるだろう。
 
で、ミス、失敗したときのことである。
 
本なら、最悪、書店回収というところだろう。
 
まあ、書いた内容に問題があって、たとえば名誉棄損で裁判沙汰ということもないわけではない。
 
でも、最悪この程度である。
 
ところが、原発事故はそうはいかない。
 
たった一度のミスで、この地球を破壊させる可能性さえ秘めているのだから。
 
原発のミスは取り返しがつかないのだ。
 
しかも、全地球史的にである。
 
また、このミスは、あくまで「善意」におけるミスである。
 
ここには「悪意」や「怠慢」、「隠蔽」それに「自己利益優先」などが介在することを考慮していないことも付け加えよう。
 
ところが、史上最悪の事故を起こした東京電力は、「怠慢」と「隠蔽」と「自己利益優先」が介在していたことが明白になっているのだが……。

 ⑤以降は政治的な問題である。
 
⑥は要するに「原発は核兵器製造工場」ということだ。
 
彼ら原発の現場で働いた告発者たちは、「原発と核兵器生産の技術の密接なつながり」を、実際に自分たちの眼で目撃したのである。
 
この日本という資本主義社会にあって、それが最優先とされる経済性においてすら劣る原発を何としても稼働させたい、その本音はここにあるのではないか。
 
この「本音」は、史上最悪の「悪意」だろう。
 
事実、自民党幹事長の石破茂は「核武装のために原発は必要である」とテレビカメラの前などで明言している。
 
 
もっとも、そもそも原発などという愚かなプラントで発電をしようとしたことじたいが、人間にとって取り返しのつかないミスだろう。
 
で、石破的なる人間を生み出したのは、いったい誰のミスなんだろう。
 
(参考資料、引用『朝日新聞』「プロメテウスの罠・内部告発者17」2014年3月20日朝刊)

2014年3月9日日曜日

ドイツのテレビ・ドキュメンタリー「フクシマの嘘」が描いた、原子力ムラに牛耳られるわが美しきニッポン


ドイツZDF 「フクシマの嘘 其の参」

http://youtu.be/m2u-9eR-hC8


30分のテレビ・ドキュメンタリーである。

この短い尺で、原発爆発以後のフクシマの実態、そして原子力ムラに思うがままコントロールされる日本という国家と国民の姿を余すことなく描写している。

そう「コントロール」されているのは汚染水ではなく、ぼくたち日本人のマインドなんだ。

安倍晋三とそのエピゴーネン、原子力ムラの住人、そして東電にとって、汚染水をコントロールするより、日本人をコントロールするほうがたやすいとふんでいるのだ。

ぼくたちは、彼らから徹底的になめられている、というわけだ。

福島の原発事故以降、この最大の惨事、いや人類史上最悪の犯罪にたいして、この国、日本では数多くのドキュメンタリーや報道がなされてきた。

だが残念ながら、このドイツのテレビ映像のような、この犯罪の核心というか真実へ肉薄したものをぼくはまだ見ていない。

原子力ムラというカネのためなら、人が死のうが苦しもうが、いやこの日本、この地球が滅ぼうとも意に介さない者どもに、ぼくたちはこのまま愚弄され、蹂躙されつづけるのだろうか……。

この映像を見ながら、そんな怒りと絶望が、ぼくの胸をいっぱいにした。

怒りを歓びに、絶望を希望にスイッチするにはどうすればいいのか。

それにはまず、怒りを怒りとして、絶望を絶望として、しっかりとわが全身に叩き込むことだろう。

そこからしか、真の歓びや希望は見えては来ないだろう。

ぼくたちはきっと、怒りのまま、絶望のまま、この世を去りたくはないのだから。

2014年2月27日木曜日

大雪が降った翌朝、積もった雪を見て、原発が爆発して降り積もった放射性物質を連想した

原発が爆発して、ここ柏市の住宅街にも放射性物質が空から降ってきた。

でもみんな、いつものように外を歩いていた。

それはふだんとなにも変わらない光景だった。

だけど、これが雪のように降り積もるように見えたら、あんなふうに外を歩いていただろうか。

おそらく、みんな「正しく恐がった」はずだ。

そう、あの当時、大雪のごとく放射能が降り積もっていたんだよ。

……大雪が降って、道路に積った雪を見て、こんな連想をしたことを、けさ思いだした。

あの当時、ヨウ素やセシウムといった放射性物質が、しんしんと雪のごとく降り注いでいたんだよな。

雪はいずれ溶けてなくなるけど、放射性物質はそうはいかない。

身体から排出されず残った放射性物質が、あらゆる器官に蓄積して、悪魔の毒を放射しつづけるのだから。

2014年2月26日水曜日

放射能汚染で、ぼくたちは手賀沼の豊かな漁場をうしなった

千葉県の北西部に手賀沼という大きな「沼」がある。

その周囲は38キロあり、山手線の34.5キロと比較すると、その大きさが想像できるだろう。

ここはかつて風光明媚な景勝地で、この沼を見下ろす我孫子の高台には志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、中勘助、滝井孝作など、白樺派の文人たちが住んでいた。

現在では夏になると柏市と我孫子市が共催する花火大会があり、沼の周囲には大勢の人たちがつどう。

ぼくの好きな我孫子図書館はこの沼のすぐ畔にあり、そこには犬も入れる大きな公園があって、愛犬が元気なときはよく散歩に連れて来た。

また、この沼はコイ、フナ、ウナギ、エビ、そして名物の佃煮となるモツゴなどが獲れる豊かな漁場だった。

しかし、この沼が人の食用として獲れる魚の漁場だったのは、2011年3月半ばまでだ。

これ以降、この沼で獲れた魚を、ぼくたちはいっさい食することができなくなり、この沼で生計を立てていた漁師たちは、漁に出ることができなくなった。

その理由は、もちろん東電福島第一原発事故による放射能汚染のためだ。

手賀沼が「日本一」で有名だったことがある。

それは「日本一汚い沼」という、あまり名誉な一番ではないが。

大規模な浄化が進み、10年以上前に「日本一」は返上した。

日本一汚い沼で獲れた魚でも食用にすることはできたのだけど、一度の原発事故で、もうこの沼で獲れた魚をぼくたちは食べることができない。

放射能汚染というものが、いかにとてつもなく激しい「汚染」なのかが実感できる。

この沼に漁に出られ、獲れた魚を食べることができるのは、いったいいつの日なんだろう。

数十年先か数百年先、それとも……。

ああ、ぼくたちの世代は、なんて恐ろしいことをしてしまったのだろう。

先祖にも、そして未来に生きる人たちにも……。

きのう25日、安倍政権は原発の再稼働を進めるエネルギー基本計画の政府案を決定した。

(参考資料『朝日新聞』ちば東葛面2014年2月26日朝刊)